写経屋の覚書-フェイト「前回の最後で、今回は『書堂規則』を取り上げるか、朝鮮の学制について触れるかで迷っていたけど、結局どうするの?」

写経屋の覚書-なのは「迷ったんだけど、結局、例のキャプションについてのツッコミをきちんと終わらせる方がいいって考えたの」

写経屋の覚書-はやて「ほんなら、今回は『書堂規則』について見るんやね」

写経屋の覚書-なのは「うん。まず例のキャプションを再掲するね」

4 民族存続の拠点―書堂(寺子屋)・学校
 朝鮮愛国啓蒙運動の一つである教育運動は、大衆的な運動として展開された。1910年の「韓国併合」の年に官公立の学校81校、準公立の65校に対し、私立=民衆が自主的に設立した学校は2250校、そのうち333校はミッション系スクールである。それらは民族の精神を形成し。同化政策に抗する拠り所であった。朝鮮人の多くは、日本語のみを教える日本の公立学校は奴隷になるための教育であり、民族の文化遺産を忘れさせ日本の天皇をあがめるための教育であるからと背を向け、旧式の古い儒教の学校を選び村の書堂(日本の寺子屋)やミッション系の学校に子どもを通わせた。国権が奪われ、武力の前では弱者の朝鮮人は、教会を背景に団結をはかる流れの中で、ミッション系の学校は人気があった。1918年の統計では日本の公立普通学校の校数と生徒数は漸増していたが、書堂の増加率がはるかに上まわり、約24,000の書堂に26万人の児童が集まった。これを禁圧するために「私立学校令」と「私立学校規則」(1911年)「書堂規則」(1919年)が制定された。


写経屋の覚書-なのは「さて、『書堂規則』本文を見る前にひとつだけツッコミをいれようかな。キャプションでは『書堂規則』は1919年の制定って書いてるけど、ほんとうは1918(大正7)年2月21日の制定施行なの」


写経屋の覚書-書堂規則


1918(大正7)年2月21日 官報第1661号

朝鮮総督府令第十八号
書堂規則左の通定む
  大正七年二月二十一日         朝鮮総督 伯爵長谷川好道
   書堂規則
第一条 書堂を開設したるときは左の各号の事項を具し府尹、郡守又は島司に届出つへし
 一 名称、位置
 二 学童の定数
 三 教授用書籍名
 四 維持方法
 五 開設者、教師の氏名並履歴
 六 漢文の外特に国語、算術等を教授するときは其の事項
 七 季節を定めて授業を為すものに在りては其の季節
 前項各号の事項を変更したるときは府尹、郡守又は島司に開設者、教師の変更の届出に付ては履歴書を添附すへし
第二条 書堂を廃止したるときは開設者に於て遅滞なく之を府尹、郡守又は島司に届出つへし
第三条 書道の名称には学校に類する文字を用ゐることを得す
 書堂は名称を記したる標札を見易き所に掲くへし
第四条 禁錮以上の刑に処せられたる者又は性行不良なる者は書堂の開設者又は教師と為ることを得す
第五条 左の場合に於ては道長官は書堂の閉鎖又は教師の変更其の他必要なる措置を命することを得
 一 法令の規定に違反したるとき
 二 公安を害し又は教育上有害なりと認めたるとき
第六条 書堂は特別の規定ある場合を除くの外府尹、郡守又は島司の監督に属す
   附則
本令は発布の日より之を施行す
本令施行の際存在する書堂は本令施行の日より六月内に第一条の事項を府尹、郡守又は島司に届出つへし

写経屋の覚書-フェイト「細かいことだとは思うんだけど、誰も何も言わなかったのかな?」

写経屋の覚書-はやて「史料本文からでもええ加減な憶測導くような連中ばっかしやん。とうてい期待できへんって」

写経屋の覚書-フェイト「で、この規則でどうやって書堂を禁圧するの?」

写経屋の覚書-なのは「正直、わかんないの。第5条の第2項を恣意的に運用したとでも言うのかなぁ…」

写経屋の覚書-はやて「書堂の開設や各種事項の変更自体は、認可制やのおて届出制やから、これで禁圧はできへんと思うねんけどなぁ」

写経屋の覚書-なのは「うん、そうだね。とりあえず今回はここまでにして、次回はこの書堂規則と一緒に出てる訓令を見てみよっか」