韓国地方政況ノ概要(三)
「さて、『丸投!史料塾―リリカル戦記大史料峠マジカルて?ふもっふ―ザルカ日記甲子園編A's』をあらためて始めるというか再開するんだけど、第1回は私立学校と書堂についてとりあげるね」
「あれ?本来、第1回は臨時土地調査局のネタじゃなかった?」
「うん。KJではそうだったんだけど、私立学校と書堂についての連載中に全部消去されたから、まずはそっちを進めて完結させる方が先じゃないかなって考えたんだよ」
「なるほどなぁ。ほな本来の第16回が第1回になるんやね」
「そういうこと。作者が8月30日に宇治市生涯学習センターの1階ロビーで開催された『「韓国併合100年」写真パネル展』を見に行ってネタを拾ってしまったのが発端なの」
「?それやったら獄長日記と関係あらへんやん」
「ところが、そのネタについて調べていくとやっぱり獄長日記にあたった、というわけなの。詳しくは追々説明するね」
「どんな展示だったの?」
「主催は詩人尹東柱記念碑建立委員会、共催は社団法人大阪国際理解教育研究センター・詩人尹東柱を偲ぶ京都の会だって」
「…平等院でなにを描いてなんの写真を撮っとんねん、この作者は…」
「共催の『大阪国際理解教育研究センター』ってどんなところ?」
「生野区にあって理事長が仲尾宏という時点でだいたい想像がつくと思うよ。で、今回のお題はこの写真とキャプション」
4 民族存続の拠点―書堂(寺子屋)・学校
朝鮮愛国啓蒙運動の一つである教育運動は、大衆的な運動として展開された。1910年の「韓国併合」の年に官公立の学校81校、準公立の65校に対し、私立=民衆が自主的に設立した学校は2250校、そのうち333校はミッション系スクールである。それらは民族の精神を形成し。同化政策に抗する拠り所であった。朝鮮人の多くは、日本語のみを教える日本の公立学校は奴隷になるための教育であり、民族の文化遺産を忘れさせ日本の天皇をあがめるための教育であるからと背を向け、旧式の古い儒教の学校を選び村の書堂(日本の寺子屋)やミッション系の学校に子どもを通わせた。国権が奪われ、武力の前では弱者の朝鮮人は、教会を背景に団結をはかる流れの中で、ミッション系の学校は人気があった。1918年の統計では日本の公立普通学校の校数と生徒数は漸増していたが、書堂の増加率がはるかに上まわり、約24,000の書堂に26万人の児童が集まった。これを禁圧するために「私立学校令」と「私立学校規則」(1911年)「書堂規則」(1919年)が制定された。
「スタッフの話では、共催の大阪国際理解教育研究センターから借り出してきたものらしいんだけど、もともとは辛基秀が所蔵していた写真を収録した『映像が語る「日韓併合」史(辛基秀 労働経済社 1987)』という写真集を出版するとき、辛基秀が収録写真の中から50枚を選んでパネルを作成したらしいの。キャプションはその写真集のものをそのまま引用したんだよ」
「うーん、慎重なんか迂闊なんかわからん話やなぁ…そやけど、解説文はともかく、その本の写真についてるキャプションって信用できるものなん?」
「まぁ、朴慶植と同じで、『鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首』写真を間島での朝鮮人虐殺の写真として掲載しているってこともあるし、気をつけて読んだ方がいいんだけど、今回の場合は虚偽を書くことに利益がなさそうだし、いちおうは信用していいかな、って」
「ふーん。じゃぁとりあえずは問題なしということだね」
「そうだね。っと、作者がまだブログの尺に慣れてないみたいだし、今回はここまでにしようか」




