【妖怪】二口女
妖怪を現代的な感じで書いてみたもの。
さて、今回は「二口女(ふたくちおんな)」。
二口女には怪談話が付いておる。
この妖怪は全国的に存在し、東日本と西日本で若干ことなったりするようだが、「二口女」の話としてメジャーなものを。
昔、男が居た。
この男は大層ケチであったため、米減らしの嫁は取らないと固辞していた。
その男のところへある日女が嫁いできた。
この女は「物を食わないのでどうか嫁がせてくれ」という。
それならば、と男はこの女を娶る。
約束どおり、女は飯を食わない。
しかし、米だけは減る一方であったため、男は不審に思う。
仕事だと偽って外へ出て、こっそりと家の様子を覗いてみた。
すると、握り飯を髪の毛で器用に後頭部の口へと入れる女が居た。
よく聞けば、その後頭部の口は物を言う。
妻の秘密を知った男は妻に離縁を迫る。
秘密を知られた妻は山姥へと変貌し、男を食いにかかる。
男は必死に逃れ、菖蒲の茂みに隠れる。
すると、魔よけになる菖蒲は山姥を寄せ付けず、男は無事助かったという。
以上のような話が怪談話として存在する。
勿論、口承の類は様々なバリエーションがある。
後頭部の口に入れるものの他には、股に入れるものもあるらしい。
また、山姥が即行で襲い掛かるものもあるし、男を盥に入れて子等と食べようと画策するものもあるようだ。
竹原春泉の『絵本百物語』では、先妻の子を餓死させた後妻が後頭部に傷を負い、その傷が口として変形し、先妻の子の霊であるとなる。
こうしてみると、山姥の話が古典的であり、春泉の話は近代的な話だと考えられる。
春泉はこの傷を「人面瘡」と書いており、妖怪というよりも奇病の一種であると考えられる。
『絵本百物語』は江戸時代の本であるため、この時には妖怪談義にも医学的な微細科学が入り込んできている。
しかし、本来の二口女はもっと妖怪チックである。
山姥が正体であるというのは、話の落ちとしてよく設定されるものだ。
しかも、男を追いかける山姥は「三枚の御札」などの話にもある。
男が女の正体を見るという行為は「鶴の恩返し」などにもある。
そういって意味では怪談話の構成としては典型的である。
この形で「怪談話」を扱うのは始めてであるが、この場合、妖怪のビジュアルは後回しになる。
今まで語った妖怪とは別のステージで考えるべきだと考えている。
そもそもコイツは神が元でもないし、渡来人が元でもない。
たとえ、源流がそれに行き着くにしても変遷までの道のりはかなり遠い。
「二口女」の構成要素としては説得力が無い。
二口女が何故後頭部に口を持つのか。
それは和服の所為であろう。
和服の女性に口を付けるにはどうするか。
洋服とは違い、上下で繋がっている着物は上か下しか空いていない。
わざわざ脱いで飯を食うやつはアクロバティックすぎる。
だから、頭か股に口を設定するしかない。
後は手のひらであるが、手のひらだと覗き難いのだ。
二口女は男に覗かれる必要がある。
手の平は相手に見せ付けるものであり、後ろから、陰からこっそりでは見えない。
「手の目」という妖怪がわかりやすい例だ。
手の目は山賊に襲われ、殺された盲人の妖怪である。
相手の顔を見るために手に目が出てきたというのである。
こいつのバリエーションは膝に目があるパターンである。
「くらやみ目」という名前で呼ばれるこの妖怪は昼間は壁にぶつかるらしい。
このような妖怪は「説明体系」から外れるものでもある。
解らない恐怖を解説するためのものではなく、教訓話としての意味合いが強い。
二口女の話は教訓の体をなす。
「理想が高くケチな男は嫁取りの際に不幸な目にあう」や「先妻の子を苛めてはならぬ」など
そういう話が含まれている。
ここまで来ると、これは「恐怖」を伴った説明体系が本末転倒の状態であると考える。
※詳しくは『【考察】妖怪~本末転倒~』の記事を参照
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そして、ストーリーとしての妖怪が出てくる。
それが怪談話である。
妖怪も幽霊も出てこぬ怪談は無い。
二口女は怪談話である。
むしろこの怪談話がなければ二口女は単独では存在し得ないだろう。
もう一つ、この二口女で面白いのは「菖蒲」が絡んでくることである。
菖蒲は匂いがきついために、虫除けや魔よけとして使われてきた。
臭いがきついものは魔よけに使われる。
節分のときにヒイラギに鰯の頭を掲げるが、鰯の頭を掲げる理由はその臭いの強さゆえである。
この菖蒲は端午の節句のときに使われる。
その意味は魔よけや尚武と菖蒲の音韻によるものという話があるが、この二口女の話が所以であるという話もある。
成立時期が前後するため、その可能性は低いがそういう説があることは事実である。
端午の節句は田んぼの田植えと密接に結びついている。
そもそも5月を表す「さつき」の「さ」とは田の神であり、田植えの時期であることを強く示す。
そして田の神に仕える女は「さおとめ」と呼ばれる。
彼女らは田植えの担い手であり、神聖なる田植えに備えて5月5日の節句には女の外出を禁ずるという慣わしがあった。
その時には魔よけとして菖蒲、蓬が使われている。
しかし、鎌倉時代になり、菖蒲の葉が剣に似ていることや男社会へと変容していったことから、端午の節句は男児の成長を願う行事になった。
もともと、端午の節句は「女」のための風習なのである。
菖蒲や蓬、端午、節句などはどれも中国から伝わってきたものである。
そして、日本の風習と中国の伝承が複合し、日本独自の「端午の節句」が生まれた。
確実に端午の節句の方が二口女の成立より古い。
菖蒲の役割が「女を守る魔よけの草」から、後の時代になって「女から男を守る草」になっていることは非常に興味深いものがある。
【幽霊】ほうたる
下鴨の方の疎水で蛍を見た。
黄緑色の蛍光色を明滅させながらふらふらと飛び交う蛍は綺麗なものだ。
蛍は綺麗なところにしか住まぬ、というのは有名な話。
日本で多く見られるゲンジボタルは澄んだ渓流に
ヘイケボタルは水が停留する田んぼなどで見られる。
蛍は日本には40種類以上蛍がいる。
夏の風物詩として定着しているが、アキマドボタルは秋に、イリオモテボタルは冬に光る。
蛍が光るのは求愛や捕食のためといわれている。
蛍は夜に怪しく光るために人魂や狐火と同じように見られることもある。
特に墓地の水路に発生する蛍は正しく亡者の魂なのである。
幽霊蛍というものもある。
ある地域では六月の蛍は幽霊蛍であるため捕まえてはならない。
とう伝承がある。
また、数万の蛍が突如現れるという蛍の怪も多く聞かれる。
蛍はその亡者の魂と見られることから武者の魂とすることもある。
時にそれは源氏頼政の魂といわれ、ゲンジボタルと呼ばれることになる。
ゲンジボタルの語源は諸説あり、源氏物語の主人公「光源氏」が有力である。
また、ゲンジボタルより小さく弱弱しい蛍は比較としてヘイケボタルと名づけられた。
ヘイケとゲンジが現れると合戦が始まる。
それが「蛍合戦」である。
この蛍合戦は、昔この地であった白井河原の合戦で討ち死にした兵士の魂魄が後の世まで蛍になって合戦しているものだという伝説が残っている。
また、明智光秀の亡魂化とする説もある。光秀は かつて天正年間(1573-)ころ 茨木の北部一帯を領していた。
蛍合戦とは蛍が交尾のために飛び交う夏の季語であるが、合戦にたとえられているのが興味深いところだ。
「蛍」という言葉が最初に使われたと考えるのは「日本書紀」である。
「彼地多有螢火之光神や螢火 (ソノクニホタルヒノカガヤクカミサハニアリ)
」
と記されている。
これは天上から神が日本の国を見たときの描写であるらしい。
蛍の名前の由来も「火垂る」だの「星垂る」だのと諸説ある。
しかし、蛍が昔から日本人にめでられていたことは間違いないし、生活とも深く関わっていた。
そして、その幻惑性から幽霊や人魂と重ねて見られていたのだ。
しかし、それは妖怪ではない。
蛍は捕まえれば捕まえられるし、虫が光っているだけである。
その「光る理由」が幽霊としての側面だったのであろう。
これは妖怪として形態化する説明体系というよりは、「蛍」というものの本質を見極めようとする「蛍の精」という感覚に近いように思える。
ほうたるの数えつ消えつ消えつ数えつ/京極堂
