2016年のレポートで哲学者孔子の偉業を取り上げました。今から2500年前の時代末期、中央政府の弱まりとともに地方の諸侯の覇権戦争が絶えなくなりました。の統一(BC221年)まで550年間も混乱が続き、この戦国時代には道徳・倫理観が衰退しました。この荒廃の時代に社会の秩序、処世術を説くべく思想家たちが現れ、儒教の祖である孔子もその一人でした。春秋時代、孔子(BC551~BC479年)は混乱する世の中をどうすれば平和にすることが出来るか思慮深く考えました。道徳観がすっかり衰退してしまっていることを嘆き、世の中を人間の内側から改革しようと、孔子は人間とはどうあるべきか解き明かし、それを纏めたものが孔子の人間観を示す论语(論語)です。孔子の教えは日本人には馴染み深く「四十にして惑わず五十にして天命を知る六十にして耳順」の他、「義を見てせざるは勇なきなり」、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」などはよく知られた格言です。孔子は人間を観察し鋭い名言も残しています。「巧言令色少なし仁」は「巧みな弁舌や取り繕った表情の人には、思いやりの心は殆どない」の意味で成程と思わせます。徳川家康の「人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し急ぐべからず」という言葉も論語の「任重くして道遠し」を踏まえたものと言われています。
 近代において道徳・倫理が衰退した出来事としては、1966~1976年の10年間に亘る文化大革命が挙げられます。毛泽东[mao2ze2dong1]と4人組が率いた悪しき大衆運動は過去を否定し、この時期に伝統文化や文化財が破壊され、更には社会規範と行動様式、人々の道徳・倫理観も変わってしまいました。政府はこの運動の行き過ぎを鎮静化するため、活動の中心となっている学生を農村に送りこみ農作業に従事させました。この結果、今の70歳代後半の人は、まともに教育を受けさせて貰えなかった人が大勢います。社会的不公平と貧富の差が拡大し、中国人の価値観をも変えてしまうような甚大な被害をもたらしました。この結果、中国人の古き良き美徳も失われ、要領よく儲ける拝金主義や派閥意識、個人主義の出現で譲り合い精神が乏しくなり、モラルが低下したと今の中国人の嘆きを当地でよく耳にしました。衣食足りて礼節を知ると言うことでしょう。この文化大革命の後に登場したのが邓小平[deng4xiao3ping2]です。同氏は改革開放路線へ軌道修正し、中国を目ざましい発展へと導きました。
 さて孔子の頃の日本は弥生時代、中国の古文書「魏志倭人伝」で当時の日本を知ることができます。稲作が普及するに伴い、稲作に必要な土地や水を巡る争いや、米と言う財産を略奪から守るためにムラとムラで戦争が起こるようになりました。当時100余りの小国が戦いに明け暮れていたと記載されています。戦争とは「富を独占する集団心理」であり、人類の歴史は戦争の歴史であると言えます。戦争は人間の道徳観を破壊し、ウクライナ戦争で報道される酷い行為はその最たる例です。戦争を考えることは人間の本質とは何かを考えることになります。孔子は戦争とは最も愚かな行動として人間の本質を表していると述べました。孔子の教えでは己所不欲、勿施於人(己の欲せざるところは人に施すなかれ)と述べています。「自分にされて嫌なことは他人にもしない」まして侵略戦争などは孔子が拒絶するところです。孔子は武力でなく人間愛(仁)と社会規範(礼)に基づく理想社会を実現しようと考え、論語では戦争を否定しています。
 現在でも通用する孔子の名言を紹介しましょう。「過ちを改めざるをこれ過ちと言う」、「その人を知らざればその友を見よ」、「知らざるを知らずとなすこれ知るなり」、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」などです。今から何と2500年前に論語が産み出され、今でも通用することに驚きを禁じ得ません。古代人も現代人も人間としての大元は同じ、現代は文明が進んではいますが、人間の本質と言うのは成長していないものだと言えます。孔子の教えで温故而知新,可以为师矣(温故知新;故きを訪ねて新しきを知る)があります。人間の本質が変わらないからこそ、過去を学び、そこから新しい知識や道理を得て、同じ過ちをしないことが大切であると説きました。

(写真:中国小学五年生向け道徳教科書〈首都師範大学出版〉)