去る5月16日は橋本敬司先生の命日でした。
橋本先生は広島大学文学部人文学科の助教授(後に準教授)で、僕の恩師です。
僕の専攻である中国思想文化学コースの先生で、僕が卒業する2007年9月までお世話になりました。
その数年後、ご病気のため若くしてお亡くなりになりました。
橋本先生は当時同コースにおられた教授陣の中で最も若く、学生との距離が最も近い先生でした。
非常にざっくばらんで気さくな方でした。
座談がお上手で、専攻のこと以外にもいろんな分野の話を、独自の切り口でしておられました。
また、普通なら遠慮して突っ込まない個人的な部分にも、さっと切り込んでくる人でした。
それでいて無神経だとかガサツな印象はない、不思議な先生でした。
ざっくり言うと、橋本先生は学生たちをいい意味で挑発してくれる存在であり、存在そのものが非常に強い刺激だったのだと思います。
橋本先生に大小の影響を受けた学生は、かなり多いのではないかと想像します。
僕も個人的に橋本先生にわりと大きく人生を左右された1人です。
中国で2年間留学した後で広島大学に復学した僕は、2007年9月に卒業しました。
日本で2008年4月に就職することが内定していた僕は、卒業後半年ぽっかり予定が空くことになりました。
そこで何をしようか迷っていた僕に対し、橋本先生は何気ない感じで「じゃあもう一回留学すればいいだろ」と仰いました。
その一言で僕は二回目の留学に行くことを決め、結果的にそこで現在の妻と出会いました。
あの時、あそこで橋本先生とそんな話をしていなかったら…と思うといまだに不思議な感じがします。
今でも時々、橋本先生のことを思い出します。
若い学生たちと交流する時、ふと橋本先生だったらどうするかなと考えたりします。
日本語教師の先輩としても(橋本先生は留学生向けの日本語の授業も担当していた)、いろいろ話を聞いてみたかったと思います。
妻と一緒に一度ゆっくり話をしてみたかったなとも思います。
1年に1回でいいので僕から連絡してそういう場を持ちたかったし、もし先生がご在世なら確実にそうしていたでしょう。
思えば学部生当時、僕は先生と真剣な対話をしたことはありませんでした。
…というか、そういう準備自体ができていなかったのだと思います。
二十代前半の僕はあまりに子どもだったので。
そのことはいまだに僕の心に引っかかっているし、これからもたぶんずっとそうでしょう。
悔しいとか悲しいという気持ちより、もっと具体的な先生の存在感みたいなものが、僕の中でまだ生きている。
5月になるとそんなことを毎年考えます。
とりとめのない文章で失礼しました。
※次は土曜日に更新します
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