先日、我が故郷である広島県安芸郡坂町内を散歩していたところ……
偶然にこんな案内板を発見。
これ自体は坂町内のお祭りで使われる「ひき船」というお神輿を紹介するものです。
この2段落目にこんな文章が書かれています。
「横浜地区は、もともといわし網漁などの漁業が盛んで、一時は、韓海域までの遠洋漁業も行われていました。」
ここで言う「横浜地区」は、もちろん神奈川県にある横浜ではなく、坂町内の一地区である横浜地域を指しています。
「韓海域」というのは微妙な言い回しですが、今で言う韓国領海のことでしょう。
実は、広島県は移民が盛んに行われた地域であり、その中でも坂町は海外への移民者が多かった場所の一つなのです。
当時、ハワイや南洋諸島への移民に加え、朝鮮半島への移民も多くいたようです。
坂町民は中でも慶尚南道の統営(トンヨン/통영)へ多く移住し、そこで「いわし網漁」を行ったとのこと。
上の記事には次ように書かれています。
「1月掲載の第1部『移住村 統営(トンヨン)」(7回)は韓国慶尚南道の港町が舞台。広島、岡山、山口県など瀬戸内の漁業関係者らが多く移り住んだ。」
「瀬戸内漁民のイワシ網漁やイリコ生産などの進出で町は繁栄。日本人町ができ、港湾や道路の整備も進み、飲食店や映画館、キャバレーでにぎわった。近くには出身者ごとの集落『広島村』や『岡山村』も誕生。各県が用地取得や住居建設を多額の補助金で後押しした。」
日本統治時代の統営は中国地方出身者が多く住んでいたことが分かりますね。
記事では朝鮮人に対する差別についても触れています。
実は僕の伯父(父の姉の夫)は統営で生まれており、幼少期を過ごしたようです。
戦後2回ほど旅行で統営へ行ったと何かにつけて話すのを聞いたことがあります。
「ひき船」の案内板から、偶然にも故郷と韓国の微妙な因縁を感じさせられた一日でした。