僕がいま住んでいる「新成洞」の隣人たちを紹介する。
一人目は「海女おばさん」である。
海女おばさんはヨンスンさんという名前である。
でも、僕たちは彼女がいない時にはたいてい「海女おばさん」と呼んでいる。
その理由は、もちろん彼女が海女さんだからである。
済州島には海女さんがたくさんいて、正式に登録されている人数は全部で四千人以上いるらしい。
2016年には「済州海女文化」の名前でユネスコの無形文化遺産に登録されている。
海女おばさんは現在60代前半である。
海女が全体的に高齢化している中では、かなり若いほうだと思う。
彼女は南元の海女協会に所属しているので、採集・狩猟活動の範囲は南元の海辺に限られている。
今まで見たところだと、サザエやウニや巻貝(まれにアワビ)が主な獲物らしい。
これらの海産物を海女協会を通して販売するのだが、一人当たりどれぐらいもらえるのかは不明である。
海女おばさんには7人の娘(!)がいる。
韓国の田舎には男の子を尊重する風潮が、特に高齢者のあいだでは今でも強い。
「男の子が生まれるまでは生み続けなきゃ」ということが近い過去まであったらしい。
彼女が7人も娘を生んだというのにも、そういった背景がある。
済州島にはそういったある種の「男尊女卑」的な価値観が色濃く残っている。
西帰浦市出身の友達(女性)が言うには、子供に男の子と女の子がいた場合、両親の遺産はすべて男の兄弟が分け取りし、女の子はいっさいもらえないらしい。
その友達は僕と同世代だが、彼女はこのような風習を非常に嫌悪している(そして、それが済州島的なものへの嫌悪につながっているように見える)。
だから、もう少し若い世代になれば、こういった男性中心的な風習もなくなっていくのかもしれない。
済州島的な常識として、もうひとつよく聞くのが、「女性がよく働く」ということである。
海女おばさんは結婚以前は海女として働いていたが、結婚・出産を経て精肉店を経営しながら、建築業の旦那さんとともに7人の娘を育てあげた。
精肉店はかなり繁盛したらしく、そこで稼いだお金を元手にして、済州市内にいくつか不動産を購入し、現在はそこからの賃貸料でもかなり儲けているようだ。
要するに、経営的な目端がきく「やり手」なのである。
済州島の男性は逆に、「あまり仕事熱心でない」という定評がある。
長くなるので詳しくは書かないけれども、済州島では1940年代後半から50年代前半にかけて、「四・三事件」と呼ばれる内乱があった。
正確な統計はいまだに出ていないようだが、この期間に済州島民の約20パーセント(6万人)が死んだとも言われている。
死者の大部分が男性であったため、この時期に男性の人口比率がぐっと下がった。
そこから、男の子を過度に尊重する風潮、あるいは女性がバリバリ働いて男性がフラフラ遊んでいても許される社会的雰囲気が形成されたという背景があるらしい。
海女おばさんはもう精肉店もやっておらず、不動産収入もあるので、悠々自適に暮らしてもいいはずである。
でも、彼女は五十代になってから海女としての仕事を再開した。
家にある大きな畑の世話も、しょっちゅうある祭祀や茶禮の準備も、ほぼ一人だけで全部している。
退職して家でブラブラしている旦那さんにブツブツ文句を言いながら、非常に勤勉に仕事を続けているのである。
そういう仕事が体に染みついたような彼女の姿は、ある世代までの済州島女性の一つの典型なのではないかと思う。
僕たちとは価値観も社会的な背景も全然ちがうけれども、僕はその生き方にある種の尊敬を抱いている。
次回は「ハーモニカおばさん」を紹介します。
(つづきます)
※ 次の更新は木曜日です。
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