在日コリアンのうち、済州島出身者が占める割合がかなり多いことはわりとよく知られています。

先日、済州島の新聞「済民日報(제민일보)」に済州島出身の在日コリアンの歴史と現状を簡潔に紹介する記事が出ていたので、ちょっと紹介したいと思います。

 

↓2025年11月27日付の記事です

 

この記事は「済民日報」の社内で行われた済州出身の在日コリアンに関する講義の内容を記したものです。

講師は済州大学日語日文学科のイ・チャンイク(이창익)名誉教授で、20年以上にわたって在日コリアンの研究してきた方です。

以下、記事を一部翻訳してみます。

 

(以下翻訳)
(イ・チャンイク教授は)産業基盤が脆弱だった1900年代初頭、済州からは海女や労働者を中心に日本への出稼ぎが始まり、第一次世界大戦以降の軍需工場拡大によって賃金が上がったことで移住が急増した。1923年にロシア軍艦を改造した汽船が済州ー大阪直航便として導入された時期が「移住の決定的な分岐点だった」と説明した。

1934年頃には、済州島の人口20万人のうち5万人が日本にいたことも紹介された。

イ教授は「強制徴用は1939年以降のことであり、それ以前にかなりの人数が『生活のために』日本へ渡った」と述べた。朝天・金寧などの貧しい地域の出身者たちの中には(この時期に)日本で成功した例も多かったという。

(以上翻訳)

 

ここでは、日韓併合後に済州島から多くの人々が「生活のために」日本へ渡ったこと、それは主として「強制徴用」によるものではなく自主的な行動だったことが説明されています。

1923年に導入された汽船は恐らく「第二君が代丸」のことかと思われます。

1934年に20万にのうち5万人が日本に在住していたとありますが、この統計が正しければ島全体の人口の実に4分の1が出稼ぎに行っていたということになります(すごい数字ですね)。

 

記事はこの後、現在の在日コリアンの状況についても触れています。

 

(以下翻訳)

日本の法務省の統計によると在日韓国人は43万人で、帰化した者を含めると100万人を超える。

イ教授は「そのうち済州島出身者は約15%で、慶尚南道・慶尚北道に次ぐ規模」だとし、在日コリアンにおける済州島出身者の存在感を強調した。大阪府生野区は代表的な(済州島出身者の)定着地であり、「済州島出身者が生活のために屠畜場で捨てられた内臓を焼いて売り始めたことが(日本の)焼肉の出発点」だと説明した。
(以上翻訳)

 

ここでは、在日コリアンのうち済州島出身者が占める割合が15%となっていますが、韓国全体における済州島の人口比率を考えると、ものすごく高い割合だということがわかります。

そしてそのうちのかなりの割合が大阪府生野区に集住していることもよく知られていますが、記事でも上のように生野区のことがさらっと触れられています。

 

記事の最後は次のように締められています。

 

(以下翻訳)
(イ教授は)済州島出身の在日韓国人は(主に)靴工場・肉体労働など最もきつい仕事を行い、餅屋・手工業などで成功する例も相次いだ。みかんの苗木350万本を(済州島に)寄贈し、学校・道路の建設支援など済州の発展に貢献したことも強調した。
イ教授は「親睦会はほぼなくなり、密航・永住権などの問題で福祉制度の外に置かれている高齢の済州島出身者はいまだに苦しい生活を強いられている。1日3回の食事を解決できない90代(の在日コリアン)もいる」と懸念を示した。

そして、「済州島出身の在日コリアンの貢献はまだ十分に知られていない。(今のうちに)記録しないと忘れ去られてしまう」と述べ、メディアの継続的な報道の必要性を強調した。
(以上翻訳)

 

ここで「みかん」のことが出ていますが、みかん農業は現在も済州島の主要産業の一つとなっています。

済州島出身の在日コリアンが故郷である済州島に対して経済的に大きな貢献をしたにもかかわらず、若い人たちはそのことをあまり知らず、当時を知る在日コリアンの人たちは高齢化が進んでいて「親睦会」もなくなり、経済的に困窮している人もいるという現状を紹介して記事は終わっています。

済州大学に済州島出身の在日コリアンを支援・研究する「在日済州人センター」が設置されているのも、そういう危機感からなのかもしれませんね。

 

個人的には年代や統計などの数字が多く出てきて、後で参考に見返すのにいい記事だなぁと思ったので引用させてもらいました。

 

※翻訳の中のカッコは僕が補足したものです。

 

 

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