韓流ブームもあって「サランヘヨ」という言葉は日本でもよく知られていると思います。

「サラン(사랑)」は『愛』、「ヘヨ(해요)」は『する(します)』という意味なので、日本語では直訳すれば「愛している」という意味になります。

 

でも、日本語の「愛してる」が主に恋人・夫婦間で使われるのに対し、韓国語の「サランヘヨ」は使用範囲がかなり広いです。

例えば両親に対して「お父さん(お母さん)、サランヘヨ~」と言っているのを耳にすることがあります。

また、子供に対しても「サランヘ~」と言ったりします。

どちらも日本語で考えるとちょっと(相当?)不自然ですよね。

息子が父親に「お父さん、愛してるよ」とはふつう言いませんし、母親が息子に「愛してる」なんて言ったら冬彦さんみたいになってしまいます(古い)。

 

また僕の感覚だと、「サランヘヨ」は夫婦間・恋人間でも日本語の「愛してる」に比べて頻繁に使われているように思います。

愛の告白にも「サランヘヨ」が使われていますが、日本語だと「愛してる」よりは「好き」を使いそうな気がします。

 

要するに、「サランヘヨ」=「愛してる」ではないことは明白です。

「サランヘヨ」の方が使用範囲が広いので、強いて言えば「サランヘヨ」⊃「愛してる」という感じでしょうか。

 

そのため、翻訳をしている時に「サランヘヨ」が出てくると悩むことになります。

親に対して「サランヘヨ」というシーンでは、場合にもよりますが「ありがとう」が一番自然なことが多いです(あくまで僕の意見です)。

その状況によって「ありがとう」の前に「育ててくれて」「生んでくれて」「いつも」をつけることもあるかも。

さらに言えば「ごめんね」になる可能性もある気がします(今までそんな翻訳はしたことないけど)。

逆に直訳の「愛してる」は100%不自然、「大好き」「好き」あたりもかなり不自然になりがちです。

 

母親が息子に「サランヘヨ」という場合はどうでしょうか。

例えば電話を切る前に挨拶のように「サランヘ~」というケース。

「愛してるよ」は絶対にアウト、「好き」「大好き」もアウト、あっという間にツーアウトです。

追い込まれてひねり出すとしたら、「がんばってね」「いつも応援してるからね」「体に気をつけるんだよ」みたいなことになりそうです。

いずれにしても直訳では日本語としておかしくなります。

 

これを日本語ではなく英語や中国語に翻訳するのであれば、たぶん「I love you」はOKな場合が多そうですし、「我爱你」もいけそうなケースが多そうです。

そう考えると、日本語の「愛してる」の使用範囲が異常に狭いのか。

 

そんなことを考えていたところ、偶然一つの論文に目が留まりました。

名古屋外国語大学の福田眞人教授が書かれた「明治翻訳語のおもしろさ」という論文で、明治時代の外来語翻訳に関する研究の一環で書かれたもののようですが、この中に「love」の翻訳語としての「愛」について書かれています。

面白かったので、内容を一部引用してみます。

 

(以下引用)

例えば、日本には仏教用語の「愛」はあった。しかし「恋」、「色恋」はあった が、いわゆる西洋的な意味での愛はなかった。 恋愛という言葉、日本語では比較的新しい言葉である。 二葉亭四迷は、当初その小説『浮雲』(明治20年―22年,1887-89)の中で、「ラヴ」と表記した。そしてその後、「愛」と書いた。二葉亭四迷は、翻訳中にふと出会った一節に苦渋して、ついに「死んでもいい」と訳した。その原文が[I love you.] である。漱石は、それを「月が奇麗ですね」と訳したとされる。 それゆえに、「君を愛している」と言う言葉は、今日でさえ日本人の心性になお 馴染まない。類似の表現として「君が好きだ」程度までであろう。「君を憎く思う」 などという逆転した心象の表現もある。

(以上引用)

 

やっぱり「愛」って難しいんですね。

せっかく「Love」に対して「愛」という漢字をくっつけてみたのに、結局それがいまだに定着しきれていない。

だから1887年に二葉亭四迷が「I love you」で悩んだのと同じように、2026年の私が「サランヘヨ」で悩んでいるわけです。

 

明治の文豪たちと同じ悩みを共有していることは光栄ではありますが、外国語の翻訳をしている限り「愛」の問題は続きそうです。

 

 

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