神の御心で
世界が波打つ水に覆われても
溢れる想いは
大地を乾かし
愛の証を実らせる
瓶に閉じ込めた想いを解き放ち
さあ
生きとし生けるもの
安らぎの実を実らせよ
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
さて、天使ブログをご覧になった方なら、もうお分かりかと思いますが、冒頭に貼ったmayuちゃま作グラスリッチェンとオイル画のコラボ作品のタイトルの解説です。
それはもうひとつの作品のタイトル「フルノコト」が決まった矢先、
「じゅんじゅんさま、実はもう一点出品することになりました。タイトル、お願いします。今度はオリーブです」
「よろしくお願いしまーす。因みに締切はすぐです」←
可愛い天使のお願いに、
「オリーブ、オリーブ、オリーブと言ったら、やはり箱舟か・・・」
オリーブと言えば、ノアの箱舟というくらい有名な話ですが、聖書の一説にオリーブの話が出て来ます。
ノアの箱舟は神のお告げを受けたノアが動物たちと共に乗り、大洪水が収まるのを待った船で、その船で航海するノアが、大洪水が終ったかどうかを知るためにハトを飛ばし、最初はすぐに船に戻って来たので洪水が収まっていないことを知り、次に飛ばした時はオリーブの小枝をくわえて戻って来たので、洪水が治まってきたことを知り、最後はハトが戻って来なかったので、平和が戻って来たことを知ったそうです。
この話から、オリーブの木は平和を表すものとされています。
また、ギリシャ神話にもオリーブの話が出て来ます。
エーゲ海を望む美しい町、アテネの支配権を巡って対立していた女神アテナと海神ポセイドンは、ゼウスの「最も人々の役に立つ贈り物を贈った者に支配権を認めよう」と言う言葉に従って、それぞれが贈り物を作りだします。
海神ポセイドンは「馬は立ち姿は美しく、戦で良い働きをするので勝利を導き人々を幸せにする」と言い馬を作りだし、女神アテナは「オリーブは闇夜を照らす光となり、傷みを和らげ、香り高く、そして口にすれば貴重な食料になる」と言ってオリーブの木を作りだしました。
ゼウスは平和をもたらすオリーブの木を選び、女神アテナはアテネの街の支配を許されました。
こうしてアクロポリスのパルテノン神殿では、女神アテナが守護神として祭られ、オリーブは聖なる木として各都市に広がったそうです。
そこでタイトルの「塞き余る」ですが、これは「せきあまる」と読みます。
せきとめきれないで、水が溢れると言う意味です。
神が人間の驕りをいさめるために、大地を水で覆い尽くし、そして平和が戻って来た時にまっさきにそれを知らせたオリーブ。
オリーブは乾いた大地にしか根を張りません。
オリーブが実ったことで、洪水が治まったことを知ったノア。
そんなオリーブはどうやって実ったのでしょうか。
実はそこに真実が隠されているような気がします。
どんなに驕り高ぶった人間にも、善と言うか、愛と言うか、平和を求める心は残っていたと思います。
神が万能ならば、その気持ちまでをもすべて奪い去ろうと思うでしょうか。
mayuちゃまの描いた様々な色や形の瓶。
きっと神は、驕った人間の根っこに残った様々な愛を瓶に詰めて船に乗せたのではないでしょうか。
大地を水が覆い尽くした時、その小さな愛は、自分たちのしたことを目の当たりにし、この世を愛で埋め尽くしたいと思ったのではないでしょうか。
その想いが膨らみ、自ら瓶の蓋を開けた時、それがオリーブへと姿を変え、大地に愛を根付かせていったのではないかと思います。
私達は時に自分を責め続けます。
自分のせいでこうなったんだとか、自分がしっかりしていないからだとか、そして自分なんかと卑下し、自分の存在を軽く扱ってしまいます。
でも、大地に平和をもたらしたオリーブのように、きっと私達の心にも小さくても何かをもたらす心があるのではないでしょうか。
このタイトル「塞き余る」は、元々の意味は水が溢れるということですが、じゅんじゅんは神が溢れさせた水を乾かした、その小さな想いという意味で付けました。
皆。
オリーブってね、一本だけ生えていてもなかなか結実しないんです。
そう、最低二本の木が寄り添わないといけないんです。
想いが想いを呼び、仲間が集えば集うほど、この世は平和。
そんな想いが、塞き余りますように(^∇^)
mayuちゃま、今回素敵な作品をふたつも生み出してくれてありがとう。
君はじゅんじゅんにオリーブをもたらした、平和の女神だよ(^∇^)





