主と6月
特別支援学校に通う15歳ダウン症の息子と40代母の2人暮らしです。普段はお金や息子との生活の事について書いているのですが、どうも6月には体調不良になってしまい、どうにも使い物になりません。考えているのか考えていないのかよく分からない毎日の中で、どうせ書けないのなら、今書けることを書こうと思いました。いつまで続くか分かりませんが、しばらく若年者死別について書いてみます。
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👉生きる
信じられないでしょうが
それまでの私に
楽しい、嬉しい等の感情はなく
記憶する限り
しばらく笑ったこともない
そんな感情がよみがえってきたのは
おそらく私の思考が戻ってきたから
思考が戻るまでは
何があっても
まともに考えることができない
だからまともな選択ができない
その自覚はあったから
外にでるのが嫌だった
毎日毎日
わけもなく涙を流し
仏壇を見るのがしんどかった
なぜ仏壇があるのかわからないし
仏壇がおいてあるのは
そもそも息子の勉強するための机として
家を建てる時に造ったもの
なぜそんな場所に仏壇がある?
かといって他にどこにおく?
だから、できるだけ見ないようにしていた(ひどい)
とにかく毎日毎日
意味もなく泣いていた
よく
「亡くなった人を思い出さない日はない」
というけれど
あれは本当にそうで
頭のすみにいつもいて
ふと何かの時にいつも顔を出す
だから忘れるというより
私の一部ではあると思う
老いもしないし
進化もしない
ただ、ただあの時のまま
優しい笑顔で。
とにかく受け入れられなかったのは
毎日何度もLINEで息子の写真を送りあったり
しょうもないことを私がつぶやく
読み返せば
意味も分からないそのことばを
夫はただ、肯定の言葉で返す
その、何をしても
寛容に受け入れてくれる人がいる安心感
日常の些細なことを
つぶやく行先がなくなったこと
それが「いない」という現実に
直面させられて
慣れるまで時間が掛かり、しんどかった
とにかく人に会いたくなく
知り合いがいない世界に行きたい
「少しは落ち着いた?」
この言葉にどうもまた悲しい気持ちになる
今はもう、
そんなこともいう人もいない
心配されることも少なくなった
当時
「時間薬」という言葉を教えてもらい
それに縋っていきていた
今でも
時間薬なんてものはなく
ただ、思い出と感情が薄れるのを
まつだけのことじゃないかと思っている
心にぽっかり空いた
大きな穴は
一生ふさがることなく
その大きな穴と共存していきていく
それしかないのだと
あるときに思った
3年たって
日常的には夫との思い出を
懐かしみながらすごせるものの
もちろん、思い出が深すぎて
まだ触れられないものもおおい
お風呂場のバスタオルは
そのまま
よく息子が触らないものだと
不思議でしょうがない
そうしていつのころか
思考は正常だと思うようになり
そうなると、それまでの辛さをわすれてしまう
だからこうやって
「あの時」に引き戻される感覚は
ただしんどい
これはきっと人によると思うのですが
私の場合、いくつかの事象がトリガーとなって
私を襲ってくるのだと思った
だから、もうすこし
もう少し、がまん。