七夕🎋の日



去年は七夕どころじゃなかったし

今年もする気はない



夫は毎年

「息子と沢山遊ぶ」と書いた



今となっては考えにくいが

当時それ程息子との時間は貴重だったのだ



息子が何を書いていたかは覚えていない



今日起きたのは10時前

スマホを見ると息子からの着信があった



息子は昨日、放課後デイから真っ直ぐばあばの家に送って貰った

ばあばが、私が大変だろうと、息子をお泊まりさせた



お陰で私は深夜迄アニメ24話一気見した

当たり前だけど息子がいるとそんなことはしない

だから夜の一気見は息子が生まれる前以来かな



夜の一気見はなんだかふわふわした

不思議な気分になる

おかげで今朝は遅く起きた



左目の痛みは殆どなかった

太陽光の下でも目を開けていられた

だけどもう少し、メガネで過ごそうと思う



息子に電話をするとばあばが電話にでた

おばあちゃん「息子どっかに逃げたわよ」



息子なんてそんなもん真顔

「今」に全力投球できる息子は凄いと思う



その後私は、湯船にお湯を貯め、風呂に入った



入ってびっくりした

湯船の底がヌルヌルしていた



息子が大量の入浴剤をいつも入れる

入浴剤を入れた後はちゃんと洗わないとヌルヌルする

ただし、裸眼の私にはそれが見えなかった



私の視力は0.02



物体や人物の輪郭は分かるが

細かいものは見えない🫥

近眼なので、手元は見える



裸眼で生活していると

床の埃や、自分の身なり、汚れが見えないから気にならない



いざ見えた時に物凄く嫌な気持ちになる

けれど、それならばいっそ嫌なものは見なければ幸せでいられるのではないか



ふとそう考えた



そもそも、ものが見えないで生活するということは、社会生活で許されない


だってパソコンの画面ひとつ見えない

電話のメモひとつ取れない

これじゃ社会で使いものにならない



だから、社会生活で当たり前に視力は矯正されている



でも、暇な私は考えた



【もしかすると、見えない生活は不便なだけではなく、心に平穏をもたらしてくれるのかも🦆しれない】



と、いうことで、

目を休めることもあり、暫くメガネと裸眼で暮らす実験してみようと思った七夕の日🎋のこと