ふと思い出したことがある。
会社員時代の私の月の交際費は、なかなかとんでもなかった。
特に飲食に関して
飲み会代がだいたい月に10万ちょい。
その他にもランチ代が数万円といったところ。
私がいた部署は、所属する社員(アルバイト含)が100人を超えており、接待がない日は、毎週のように部下を誘い飲みにいく。そしてその支払いを全て私がしていた。
多分、そんな旦那さん世の中に一定数いるんじゃないかな。「ええかっこしい」
業務中には基本直属の部下しかやりとりがない。が、たまに話を聞くだけでもスッキリすることもあるだろうし、誰かを介さず直接話を聞くと、業務中の行動に、そんな意図があったのか。など、学ぶことも多い。
労いの意味もあり
上司が部下の飲み代を払うのは当たり前だと思っていた。単にええカッコしたいだけだけど。
だけど、今となっては、それはあまりよくないことだと思う。
毎回私が支払いをすると、
部下にとっては、「私が支払いをする」ことに慣れてしまい当たり前になる。すると感謝の気持ちが薄れる。
もちろん、常識ある方(特に女性)は必ずお礼をいうが、そうでない人の方(割と若い男性)は多いように思う。
お礼を期待してやっている訳ではない。
だからいいのだけど
「ご馳走様でした」の一言も無かったり、そもそも財布を持ってこない若者もいた。(だいたいが若い男性)
私が好きでやっていることだから全然後悔はない。
だけど、今思うことは
「大切な人との時間にお金を遣う」ことは最も幸福感が得られるお金の使い方だと思う一方で、私がやっていた事は、最も無駄なお金の使い方だと思った。
感謝の気持ちが薄れるということは、奢られた人にとっても良くはないよなー。
これは、学ぶ時にも同じことが起こるそう。
自分でお金を払って学習する講義は、学ぶ意欲が高いことに対して、会社の金や無料セミナー、親が学習コストを払う場合、本人の学習意欲が落ちるのだそう。
だから、本気で学びたいことがあるのなら、自分でお金を払って、本を買ったり講義に参加するのがよい。
私が今思うことは、
大切な人へのプレゼントなどはステキなのだが、毎回上司の奢りというのが、最も両者にとって無駄なお金の使い方だと思う。
たばこやギャンブルは、まあ害しかないのだけれど、それでも、ドーパミン的快楽やほっとするひと時など、得るものもある。
対して、毎回の上司の奢りは、
うん。だめだ。
でも、やってたときは、それが普通だと思ってるんだよな。
今は、その毎月の飲み代以下が息子との生活費。
うん、不思議。
しかし、そこから得られる幸福感は比較にならないのだ。