洗濯機で毛布を洗う。
朝から何回も止まる。
多分この洗濯機でこの毛布を洗うのは
容量的に無理なのだろう。
はー。
このびしょ濡れの重い毛布をこれからどうしよう。
夕方学校から帰って来た息子
ものすごい勢いで突進してくる。
手には何故か私の手帳を持っていた。
『あたしのたんじょーび かいてないじゃない 』
『息子の誕生日いつだっけ?』
『でぃずにーらんどー 』
『うん。だから、それいつ?』
『でぃずにーらんど!! 』
会話にならない。
今週
【10日間の間に幸せを感じたことを記録する】
をやってみた。
なんでこれやりだしたんだっけ?
覚えていない。
なんだ小さな幸せにはお金かからないな。
そして、いつも息子がいるんだな。
最近思い出したことがある。
私達夫婦は、コロナ禍以前
平均するとふた月に一度、誰かの結婚式に出席していた。この10年は仕事関係が殆ど。
2人で出席する場合は、
ご祝儀を10万円包むと決めていた。
そして、ご祝儀は相手が誰であっても私が払う決まり。会社関係は、関係が浅くても必ず10万円払う。でも、友人や家族には今までそんなに払っていなかった。
私はこれがものすごく気持ち悪くなって、
友人のお祝いにも10万円包むようになった。
友人には決まってビックリされる。
相場とかけ離れているから。
だけど
職場の人(繋がり薄)>友人(繋がり濃)
と、金額の矛盾に納得がいかなかった。
実際、仕事関係でお祝いに10万円包んだある人は、夫の葬儀の香典が2,000円だった。
気持ちの問題っていっても…
気持ちの問題だからこそか?
ちょっと、いや大分モヤモヤした。
今は、結婚式全く行っていない。
呼ばれない。
年間100万円近かった謎の祝い金がなくなった。
だからかなりスッキリした。
今は大切な人にお金を使えるから
モヤリも無くなった。
そんな一昔前に出席した結婚式での思い出
披露宴終盤、息子が言う。
「女手一つで僕たち兄弟を育ててくれた」
それは事実なのだけど、私は思う。
お母さんはきっと
「あなたが居てくれたから、生きてこれた」
子は親に育てて貰ったお礼添えた。
ひとり親が子を育てるのは大変だ。
だけど、母の生きる糧はきっと子なのだ。
あなたが居てくれたから、私は生きてこれた。
あの時の言葉を
今ならそう感じるのだ。
私は数十年後
おばあちゃんになって、
私も例に違わずそう思うのだろう。
不健康と頻脈だから、
そんなに長生きしないだろうけど
おばあちゃんになれるように気を使おう。
洗濯機が何度も止まり
しょうがないから取り出そうとしたら
ドアロックが開かない。
どうしたものか。
なんだか今日は疲れたな。
明日考えよう。