消えた遺言書
暇だったので、
汚れていたインターホンを激落ちくんで擦った。
すると、表面のコーティングが剥がれて、黒いのが見えてきた。ヤバい😨。
激落ちくん信者は、こういうところが雑なんだよな。
それとG対策で、通気口にフィルターを貼ろうと、位置を確認してみたのだけど、位置が高くて、私でははしごを使っても届かない。
じゃあ、内側から換気扇(ナノイー他)にフィルター貼るかと思ったけど、こちらも天井埋め込みで、私では届かない。
ってか、フィルター以外の穴がはっきり見えるのってどうやってフィルターするのだ?
何だか面倒になってきた。
さて、先日実家に行った時のこと。
ふと思い出して、母に聞いてみた。
『そういえば、じいちゃんさ。
毎年のように遺言書書き換えてたじゃん。
結局出てこなかったって悲惨だよね。』
私の祖父は、7年前に亡くなった。
祖父は、私の実家と同じ敷地に1人で住んでいた。
今私の父と母が暮らす家だ。
私たち家族は、祖父保有の家の離れに私が小学生の頃に引っ越してきた。
建前は、祖父祖母の面倒を見るためだったが、母と祖父母は折り合いが悪く、私は祖父母から1人可愛がられていた。
といっても、畑仕事や法事の手伝いなど、手伝いばかりさせられていた気がする。
私が高校生の時に祖母が亡くなった。
その後祖父は暫く1人で暮らす。
私は高校生の間は、よく祖父の話相手をしていた。
というか、同じ話をただ聞いているだけ。
祖父は、私の父母のことをよく思っていなかった。特に母のこと。口を開けば、父や母の悪口ばかり言っていた。年寄りあるあるで、同じ話を何度も何度も。
孫の私にそれをいうのはよく分からなかった。当時はそういうモノと思っていた。
私には、祖父が母を嫌いなことに、特に理由はなくて、ただただ母のことが嫌いなのだと思った。
嫌いだという感情に合理的な理由などナイと思う。
私は、祖父のことが嫌いでは無かったのだが、今思えば、祖先が残してくれた田畑を売ってお金を手にした成金なのに、よくあそこまで偉そうにできたな。と、驚きで、反面教師でもある。
そんな祖父だが、私は高校卒業後に県外に出たので、その後は疎遠になった。
それから、祖父が亡くなるまで、母は祖父の食事や介護をしていた。
そんな祖父は、私によく言っていた。
『おれが死んだら、遺言書を見れば、全て書いてある。俺の気持ちも全部かいてあるから、その時全部分かる。』
親族が集まる宴会でも、何度も何度も言っていた。
そして祖父は、亡くなる20年以上も前から、毎年のように、遺言書を書き換えていた。
そんな祖父が亡くなり、私は祖父の言葉が気になっていたので、遺言書のことを聞いてみたのだが、そのとき母は、遺言書は出てこなかった。と言っていた。
私は、あれだけ遺言書にこだわっていたのに、出てこなかったってことある?とずっと不思議で祖父が哀れに思えていた。
しかし、実際は違った。
つい最近、母が言った。
『遺言書ね。今も、うちの金庫の中にあるのよ。皆んなで話して開けないことになったらしいの。』
なんと!?!
そんなことってあるのか。
信じられない。
祖父は私によく言っていた。
『俺が死んだら、娘(私のおば)に、遺言書を開けるように頼んでる。』
どうも祖父は、ちゃんとしたところに頼んでいたわけではなく、自宅の金庫に遺言書を置き、その暗証番号をおばに託していたのだ。
祖父の死後、兄妹間でどのような話し合いが行われたかは分からない。母も知らないそう。でも、遺言書は遺族の話し合いで「無かったこと」になった。
祖父の遺産は、兄妹で法廷相続分ずつ分けられ、遺言書は今も実家の金庫にあるらしい。
じいちゃん、80歳を超えて、彼女が居て、よく実家で宴会してた。
ある意味、人生を謳歌していて凄いと思った。
だが、私の親戚はそれをよく思っていなかった。
今度は母やおばが、じいちゃんの悪口言ってた。
だから、変なこと書いてあると思ったのかな?
私は、すごく恐ろしいと思った。
真相は分からない。
それ程、私の祖父は疎まれていたのだろう。信じて託した子ども達は、祖父の最期の言葉を聞かない選択をした。
このことは、少なからず今の私の価値観に影響している。私はもちろん、ちゃんとした2つ以上の第三者機関に遺言書の管理を頼もうと改めて思うのだ。