依存
6月の夫の一周忌の予約をした。
私を気遣う母からは、色々と言われたが、一周忌は私と息子の2人で行うと決めた。
父には言っていない。
母は「それじゃ駄目だ」と私を何度も叱った。
それでも、私の気持ちは変わらない。
不安定な日々はまだ続くだろう。
私は、私と息子の気持ちを大切にすると決めた。
そんな最近も、まだまだ、
生産性のない無駄なことを考える。
「若くしての死別と、長年連れ添っての死別どちらが辛いか。」
「いつか、夫が居なくても大丈夫と思える日がくるのか。」
「息子と2人だけでどう生きればよいのか。」
答えなどない。
考えても仕方がない。
だから頭のメモリを消費するだけ無駄なこと。
しかし、眠れないときの、モンモンと考える時間は無くならない。
今日が人生で1番若い日。
こんなことばかりが頭をよぎりたくない。
考えて考えて、最近になって思うのは
死別でも、辛さには違いがあるんじゃないかということ。
私が思うそれは、年齢ではなくて、
配偶者にどれだけ依存してきたか。ということ。
私が働いていたらまた違ったのかな。
経済的、精神的に夫に依存しきっていた私は、まさにどん底の日々だ。
夫が居なくてただ淋しい。
なんだ、私自分のことしか考えてないね。
私の毎日は、夫と息子がいかに心地よく、そしていかに楽しく毎日を過ごすか。それが全てだった。
だから、なーんにも無くなっちゃったんだろうな。
今は息子に依存しまくりだ。
お金に関しては、自分で働いたお金を預金をしていて良かった。
私にとっては老後資金だったのだけど、
今はそんなことを言っている場合ではなくなった。
この預金がなかったら、
私は今私を許せなかっただろう。
結婚していても
子どもがもう手を離れていて、
配偶者への依存の度合いが少なければ、
多少なりとも「添い遂げた」という思いに浸れたのかな。私にはこれっぽっちもないな。
息子と2人で住む家は広すぎて。
食事は2階の小さな部屋に運んで過ごしている。
出ていく気など毛頭ないのだけれど。
さて、これからGの季節になるな。
今から、対策しよう。
今年は見たくない。
倒せないからな。
息子は手で掴もうとするし
見ない努力をしよう。