夫の死後、健康について臆病になった。



以前は何も考えていなかった。

思考停止させて考えないようにしていた。



働いてるとそんなキャパシティないし、考えても仕方ないことだと思っていた。でも、備えることは大切だと今なら思う。



昼に私の母から電話が掛かってきた。

私の父が釣りにいき、素晴らしい釣果だったらしい。



平日だが、魚🐟好きな私と息子に

食べにおいでと母に誘われ、迷ったけど実家へ。

(だって平日だし真顔



確かに大量あんぐり

じいじ得意気おじいちゃん


じいじ出世した。

私が一度怒って多少反省したらしい。


ばあばと楽しそうだけど、今日は平日。

ごねる息子を引き剥がして、家に帰る。



ウチから実家迄は車で10分。

だけど、夜で道が混雑していた。



その時、急な腹痛に襲われる。

視界がぼやけて狭くなり、冷や汗が止まらない。



雨の日の夜。

光で道が霞む。

運転中の私はどうすべきか。

頭が働かなかった。



息子は隣でアイスを食べていた。

息子はコーンの部分を必ず私に渡そうとするが、それどころじゃ無い。



どこでもいいから、捨ててくれといった。



混んでいても10分くらいでは家に着くだろう。

それまでわたしはもつだろうか。



思考が働かず、他の選択肢もなく

家まで運転することに。



何とか家に着く。



悲しい『息子ごめん。お母さん具合悪くて、先に降りるから、あとできてね。 』



驚き『むりむりむりむりむり 』



この時は息子のペースに合わせることができなかった。



急いで家に入り、そのままリビングにぐたっとなった。



しばらくして息子追いつく。



ぐたっとしていると、

息子が2階から、私がいつも飲んでいる風邪薬やサプリを抱えてやってきた。



にっこり『おくすりのんで よくなるよ 』



ごめん。でも相手できない。



息子はずっとわたしの近くに座っていた。



1時間くらい(多分)して、視界が回復してきた。



私は20歳位から、年に数回この症状に襲われることがある。若い時は都度病院に行っていたが原因不明。いつしか放置するようになった。



休めば数時間でよくなるから、

付き合っていくしかないと思っている。




時刻は21時。

まだ動けない。



『息子、ちゃんとゴミ箱に捨てて。』

(息子は私にゴミを捨ててくる真顔


『息子、お母さん具合悪いから1人でお風呂入って』



息子はひとりケラケラ笑っていて、動こうとしない。



ちょっと不満『おかあさん しんだら どうするの?』



にっこり『ぼくが しんだら どうするの?』



笑ってオウムがえし。



ちょっと不満『そうじゃなくて、お母さんしんだら、息子1人でなんでもしなきゃいけないんだよ。だから練習しよう。』



驚き『むりむりむりむりむり  』



いつもはこんな会話しない。



でも、普段全介助の息子に言葉だけで息子を動かさないといけない。





そうこうしながら思う。



何かあったら、私は誰を頼るのか。



もちろん両親なのだが

両親も、病気やら何やらで何十年も生きれる訳では無い。



何もなくても頼れるのが家族。

私には頼れる人が極端に少ない。

具合が悪いときはいつも不安に襲われる。



思考が回復した今は、

誰でもいいから電話すりゃ誰か来てくれるやろ真顔と、自己解決する。



だが、具合悪いその時は、

思考が働かないからか、

何故か誰かを頼ろうということをしない。



わたしは、これが恐ろしいと思った。



息子や。



あと10年の間に、お母さんが具合が悪くなったら、自分で判断して誰かを頼れるようになってくれ真顔



結局息子は、散らかしっぱなしで

風呂も入らずに寝た。

でも、ずっと私のそばに座っていた。



寝る時はど真ん中だけど。

そして必ず掛け布団の上に寝る。




『息子、明日の水筒のお茶ないや。ごめんね。』