死別の本懐
昨日の息子は、安定のひっつきで寝ました。一緒に喜んでいただいた皆さんごめんなさい🙇♀️。
今思えば、息子が夫に見えたのは、夫の月命日が近かったからかな。
もちろん息子。
今朝も学校に行くのに時間がかかるし、
おしっこ は 漏らすし、
そして、ニヤニヤしてるし、
うーん。
私には『落ち着く』ということは、ないのかもしれないな。
朝息子を車で送った帰り道
車のテレビで、このニュースが流れていた。
喪主のご主人のスピーチを聞きながら、私もボロボロに泣いた。すごく素敵な家族のお写真。ご家族の無念は計り知れないだろう。
そんな始まりの7回目の月命日
お寺にお参りに行って、自宅でボーッとしていた。
今だに涙が絶えることはない。
思考は回復し、少しずつ、外に出る回数は増え、
人との世間話もできるようになった。
だが、涙を流すことは変わらない。
これをいうと嫌な気持ちになる方も居るだろうが、夫を亡くした時、私は自分の人生も終えたいと本気で思った。
今も、私が今生きていることは、『余生を過ごしている』という感覚で、その気持ちは変わっていない。このことを世間話で言えるようになったのはデカい。
言われた人は決まっていう。
『何言ってるんですか。』と。
まだ若い。これから良い人居るかもよ。なんて。
そんな言葉にもイチイチ傷付かなくなった。
配偶者と死別された方で
『ご夫婦仲良くしているのが羨ましい。』
という方がいらっしゃる。
私も見ていて辛くなることはある。
失った未来と比べてしまうから。
でも不思議と『羨ましい。』とは思わない。
私が大切だったのは、息子と私のことを大切にする夫。その前提があるから、何を話さずとも伝わる家族の世界。
他の人とその幸せが成し得るとは、カケラも思わないんだよな。
もっと、夫から学びたかったな。
夫のことを、平気で過去形で話している他人に、以前は腹が立っていた。今は過去形で話すようになった自分にも、心底嫌気がさす。
こんなことを書きながら、やはり今日も、ボロボロ泣いている。まだまだだなー。
月命日は、私が今の私を記録する、大切な日。
また、来月を目指して1ヶ月生きていよう。
さて、帰ってきた息子
月命日を説明して、息子にちゃんとお参りして欲しいけど、なかなか伝わらない。
下痢気味の息子
今日もお腹を下していたらしく、💩さんをおパンツにしてしまった。学校では、ほとんど粗相はないようで、おウチだと油断するよう。
『だって がまん できなかった。 』
だよねー。
息子とは普通にご飯を食べて過ごした。
そのうち、泣かなくなるのかな?
もっと強く、サイボーグみたいになりたい。