石川県能登地方を震源とする地震により被害を受けられた皆さまへは、心よりお見舞い申し上げます。これ以上の被害が拡大せぬよう、お祈り申し上げます。
また、報道に触れることで、辛くなってしまう方もいらっしゃると聞きます。どうぞお心静かに過ごされますよう。
1月1日、朝7時8分
重い。
『ばあばんち いこーよー。』
子供って約束したことは覚えてますよね。
新年早々、息子の重みで目が覚める。
それからウダウダして、9時ごろ自宅を出発する。
あれ、玄関🚪あいとる。
いつから開きっぱだったのか。
そして息子は、いつから待っていたのか。
私の靴を履いて、待っている。
息子は、こんな『しょうもない』嫌がらせを
ニヤニヤしながら仕掛けてくる。
車に乗り、出発。
貢物は、ウニと鰻。
周辺の道路は、驚くほど車が少なく、静かだった。
今年は可愛い姪っ子が、ハッピーニューイヤーのLINEをくれた。嬉しい
喪中は、正月飾りをしなかったり、おせちを用意しなかったり、『あけましておめでとう』を言わなかったり、と制約がある。
慣例には、程々に従おう。
実は、昨日の地震から、ブログの更新を躊躇っていました。日本が大変な時に『くだらない日常を呟いている』場合じゃないだろうと思ったから。
それでも、書こうと思った。
いざ、更新できないとなると、私にとっては、やはりとてつもなく苦痛だった。
実家に着く。
仏壇に挨拶をして、『歳をとる』という儀式?
をする。ほんと田舎って感じ。
私は小さい時から、これが嫌いだった。
あの回し飲み?なぜ不思議に思わないのか。
その後、母が用意した食事を食べる。
そうしてゆっくりしていた頃
私の母に電話が掛かってきた。
母の3番目の兄から新年の挨拶だった。
母は、5人兄妹の末っ子。
上には4人の兄。
1番上の兄は既に亡くなっている。
しばらく話して、電話を切った母。
『あ、たーにーちゃん(4番目の兄)にも電話しなきゃ。』と、電話する。
しばらく母が話した後、私に電話を代わられた。
『おじちゃん。私だよ。ご無沙汰してしまいすみません。』
時間距離がものすごく遠いところに住んでいる叔父。数えるほどしかあった事がないけど、私たちのことをとても大切にしてくれる。
『おじちゃんな。今は定年してゆっくりしてるんだよ。◯◯(私の事)は、仕事大変だろう?』
『それがね、仕事やめたのよ。』
ここで、私の母がハッとして私から電話を奪う。
『娘の旦那さんが去年亡くなったのよ。ビックリしてね、仕事も責任ある立場でストレスがなんたらこうたら。』
母は、延々と喋り続けている。
そしてそれはあなたの想像だ。
おじちゃん、それを聞いて、声にならない声をだして泣く。電話がスピーカーなので、その声は家族全員に聞こえた。
『◯◯(私のこと)ごめんなぁ。おじちゃん何も知らなくてなぁ。辛いなぁ。苦しいなぁ。何もできなくてごめんなぁ。』
その声が、涙が、私の感情を揺さぶり、私も涙が溢れてしまった。今まで、家族の前では、絶対に泣かなかったのに。
私は喋り続ける母から、電話をとった。
『わたしこそ、連絡もせずにごめんなさい。今は息子もいてくれるので、何とか過ごしています。』
と、伝え、電話を終えた。
私は、母に言った。
『なんで伝えるのがわざわざ元日なの。』
そして言った。
『クソババア』
『あー!正月からクソババアって言ったー。』
おじちゃんにいうなら私のいないときに予め伝えておいてくれよ。怒っているわけでも、腹を立てているわけでもない。
新年元日の朝から、こんな気持ち揺さぶられるとは。
シーン…
30分くらい。
さすが息子は変わらずマイペース。
いたたまれなくなり、
『帰る。』
父は終始黙って🤐いた。
母も何も言わなかった。
息子をおいて、母は自宅に帰る。(11時)
それから、ゴロゴロと正月番組を見て、17時ごろまた実家へ。
母に聞く。
『2番目の叔父ちゃん、今何してるの?』
『知らん。生きてるのか死んでるのかも知らないわ。』
この母、いい性格してるよなぁ。
私もこのくらい、強く、そして鈍感になりたい。
母がいうには
『あんたも、そのうちこうなるのよ。』
らしい。そんな、1年の始まりの日。