人生最大の後悔
大切な人と死別して、後悔が無い人などいるのだろうか。これは、私が今になってはじめて言葉にすること。
私の人生最大の後悔。
それは、夫の人生最後の晩に、夫と同じ部屋で寝ていなかったこと。
夫は夜の0時過ぎ、私の部屋にやってきた。
私は、ソファーで寝てしまった息子を抱えながら、そのまま息子と一緒に寝ていた。
夫は私の部屋の入り口にあるブルブルマシーンに乗りながら、私に話しかける。
夫『明日からの出張駅まで送ってね。6時半に家を出ようね。じゃぁ、おやすみー。バイバイ👋』
そう言って夫は寝室に行った。
翌朝6時30分。起きてこない夫を寝室に起こしに行った。暗がりのなか、夫に呼びかけるが返事がない。
電気をつけると、冷たくなった夫がいた。
眠ったようにとても穏やかな顔をしていた。
だから、最初何が起こっているのかわからなかった。
すぐに大声を上げ、義父義母を呼び、救急車を呼ぶ。
電話で指示された心臓マッサージを懸命にしながら、6時40分には救急車が到着した。
到着した救急隊員が、夫に酸素マスクをつけようとして、色が変わりはじめていた手足を見て、『これはもう、、』と言った。
救急隊員は、夫に酸素マスクをつけなかった。
そのまま夫は家から運び出された。
夫の死後、義母は夫の話を一切私にしなかった。
義父は、時々思い出したように言う。
『心臓が止まる時、そりゃぁ苦しかったよね。何十分も、1人で耐えたんだろうね。助けて欲しかったよね。』
その言葉を聞くたびに、私はあの日のことを思い出す。
義父の言葉は、私が蓋をして考えないようにしていたこと。毎日一緒に3人で寝ていたのに、あの日だけ、一緒に寝なかった。
私さえ、同じ部屋にいれば、夫は今も元気にこの家にいたのかもしれない。そう思うと耐えられなかった。
どんなに後悔しても、過去を変えることはできない。一緒の部屋に居さえすればというのは、『たられば』の話に過ぎない。どうしたって時間を戻すことはできないんだ。
ここのところ、このブログを通じて、人の死に触れることが多くなった。死を意識しながら過ごすことは、悪いことでばないと思う。
この話は、私がこれまで蓋をしてきたこと。
蓋をしないと自分が夫を殺したようで耐えられなかった。もちろん、そんなはずはない。
大学から渡された死体検案書の死因には、『急性心筋梗塞(短時間)』と書かれていた。
この『短時間』と夫の顔が穏やかであったことだけが唯一の救いだった。
今もボロボロ泣きながらこの文章を書いている。死別して4ヶ月半が経ち、ようやく向き合っている。
大切な人と死別して、後悔が無い人などいるのだろうか。そんな人居るはずがない。私が出来ることは、私がした経験と今後感じることをブログに綴ることだけ。
今、もしかすると、大切な人が闘病などで、死の淵に直面している方がこのブログを見ているかもしれない。
突然死は、最期の言葉を聞くこともできず、感謝を伝えることもできず、突然の別れがやってくる。
死と向き合うのは本当に辛いだろうけど、1日1日を悔いのないように過ごしてほしい。私は今後そうしたいと思う。
夫が最後に乗ったブルブルマシーン。
怖くて乗れなくなっちゃってさ。
今はハンガーになってるけど、いつか、乗れるようになりたいな。