遠距離恋愛→国際結婚→高齢出産-100328_192319.jpg

一番の親不幸は… 親より先に逝くことだ…と事あることに母は言う。
母方の祖母が56歳で亡くなった時、ひいおばあちゃんはまだ70代で結局100歳まで生きていたのでいつも自分の余命を半分あげたいと言っていました。

だから、自分の両親を送り、父方の義理父母も送ったから、順番からいくと自分はいつ死んでもいいのだと言っていたけれど、まさかの私の出産で「ランドセルくらいは買ってあげたい」と言いだしました。
私は母が21歳の時の子供だから順当にいくと40代でおばあちゃんになると思っていたのが待ちくたびれ、諦めだしたときにポンと生まれた孫。


前に、ブログに書いたのですが私は中学からの友人を癌で二人亡くしています。

そのうちの一人は、高校も同じで東京に来てからもよく遊んでいて、彼女が結婚して子供が生まれて、京都に引っ越して…。

二歳と四歳の子供を遺して死んでしまったのです。

彼女が亡くなった日、私は車の運転免許の試験で合格した日で、幼なじみのHくんからの電話も超明るく出た。

風邪ひいてんのかな?

もしかして泣いてる?

Hくんの嫁は、私が紹介しました…てか、ゴルフの頭数が足りなくて誘ったらいつのまにか付き合って結婚して…二人目の子供が生まれる直前だったから最初、そっちのほうで何かあったのかと思った。

「俺さー今、嫁さん病院でさー」

ぐずぐず…ズルズル…

「上の子供連れてヨークマートに行ってるときに電話かかってきてさー」


ぐすっ…。

「子連れの男が泣いてるから嫁に捨てられたみたいで…」


だからっ!

何があったか早く言え~!

もう心臓バクバクしてるし…!



「真由美が死んだ…乳癌からの転移で…」

は?

私は、二週間前に京都で会っているのに何を言ってるのかと思った。
確かに少し痩せてはいたけど、サンマルクでパンもモリモリ食べていた。

混乱の後に涙が止まらない…。

彼女は…。

成績も良かったし、バスケット部の部長で大学に入っても続けていたし、ものすごく綺麗な字を書き、絵を描けば全国レベルで表彰される、裁縫も得意で簡単な服ならあっというまに作ってしまう…。

クラシックのコンサートに初めて行ったのは彼女からのお誘いだし…。
靴メーカーの人事で働いているときはサンプル品を貰ったり、社販でもずいぶんお世話になった。

べったりの仲良しというわけではなかったけれど、一緒に二人で神戸に旅行も行って中華街でシュークリーム食べたなあ。

私からみたら何もかも完璧に近い友人が幼い子供を遺して亡くなってしまったのです。

彼女に追いつこうなんて思わないけれど、彼女のようになれたらいいなという思いもあり、真由美の中から二文字頂きました。

彼女のお母さんにも近々、手紙を書いて知らせようと思うし、稲沢市にいる彼女の子供たちにもいつか会いたいと思います。

困難なことがあるといつも
「真由美ならどうするだろう?」って思い、すぐに
「いや、そもそもこんなことにならないように普段の行動が違うんだろうな。」とひとりツッコミしてしまったり…。

人の親になり、最近やたらと…会いたいと思う友人です。

私に出来ることは自分が元気でいることと、検診を奨めていくことくらいでしょうか…。