香港政府はスパイや反逆の防止を口実に、政治活動や報道を全面的に規制する新法の制定作業を開始した。2020年に中国の習近平政権が制定した香港国家安全維持法(国安法)を補完する現地の立法で、香港の政治体制は完全に中国化する。政治の社会主義化により、資本主義体制下で発展してきた国際金融センターとしてのビジネス環境も一段と悪化する可能性が大きい。

 

■「国家安全維持条例」案を公表

 

 香港政府は1月30日、中国の香港基本法23条に基づいて「国家安全維持条例(国安条例)」を制定するため、市民からの意見を募集するとして、条例案の説明文書を公表した。

 具体的には「反乱罪」「国家安全危害破壊活動罪」「域外干渉罪」を新設。それに合わせて、刑事犯罪、機密保持、団体規制に関する既存の条例も改正する。域外干渉罪は、「国家分裂」阻止に重点を置いた国安法でも規定された外国人・外国組織などとの政治的交流に対する取り締まりをさらに強化するものだ。

 条例案の詳細については、香港政府トップの李家超(ジョン・リー)行政長官、林定国司法官(法相に相当)、鄧炳強保安局長(治安担当閣僚)が記者会見などで説明した。

 意見募集期間は2月28日までのわずか約1カ月。この間には春節(旧正月)の連休がある。国安法体制下の立法会は中国本土の人民代表大会と同じような翼賛議会で、現議員は全員が親中・親政府派なので、条例案は夏までに可決されるとみられる。

 

■親中派から問題提起も

 

 ただ、親中派議員からも問題提起の声が出ている。地元メディアによると、親中派政党・新民党の葉劉淑儀(レジーナ・イップ)主席は「情報の自由は国際金融センターとしての香港にとって重要だ」とした上で、メディアが公共の利益のために機密情報を報じた場合、公共の利益が免責もしくは弁解の理由になるのかどうかを議論する必要があるとの認識を示した。葉劉氏は行政長官の諮問機関である行政会議の主要メンバーも務めている。

 一方、行政会議メンバーの湯家驊氏は「国家の安全を損ねることが公共の利益であるはずがない」と否定的見解を表明した。湯氏はかつて、民主派政党・公民党の立法会議員だったが、国安法制定前に離党している。

 2003年当時の保安局長で、基本法23条立法に反対する民主派の「50万人デモ」で条例案撤回と引責辞任に追い込まれた葉劉氏がこのような慎重論を公言し、その反対運動に弁護士と参加した後、民主派の有力議員になった湯氏が異論を述べるのは皮肉なことだが、香港の奇怪なディストピア的現状を象徴しているとも言えよう。

 葉劉氏の問題提起に対し、鄧局長は「前向きに検討する」としながらも、「特別な仕事や身分だからといって、特権を持ち、法的に何をしてもよいということはあり得ない」「重要な公共の利益を理由とする免責のハードルは高い」と強調した。

 鄧局長によると、漏えいが許されない機密は政府の資料だけでなく、インフラなどに関する民間の資料も含まれる可能性がある。「国家の安全」に関わるからだ。

 また、言論全般について、李長官は記者会見で、香港人であれ外国人であれ、どんな意見を表明しても、原則として法的に許容されると述べたが、それは「国家の安全を損ねる意図がないのであれば」という条件付きだった。

 免責の「ハードル」の高さをどのぐらいに設定するのか、悪い「意図」の有無をどう判断するのかについては、当局の裁量次第となるわけだが、国安法で民主派を徹底的に弾圧した、これまでの「実績」を見ると、どのようなケースでも寛容な判断が下されることはなさそうだ。

 

■指針は習主席の国家安全観

 

 そもそも、今回制定する国安条例は既存の国安法と違って、建前上「一国二制度」を保っている香港特別行政区の法律であるにもかかわらず、条例案の説明文書は制定の指針として、習近平国家主席の「総体国家安全観」を挙げた。さらに、この概念には政治や軍事だけでなく、経済、金融、科学技術、インターネットなどの安全保障が含まれるとわざわざ明記した。中国本土と同様に、ビジネス活動や経済報道も取り締まりの対象になるということだろう。

 国家安保やスパイ行為といった重要用語の定義についても、参考とすべき法律として、中国の国家安全法と反スパイ法が挙げられている。したがって、国安条例の運用は中国の国家安全省や公安省(警察)と同じような基準で行われる可能性が大きい。

 記者会見の後、中国政府の香港出先機関が主催した新春レセプションに出席した李長官はスピーチで、香港政府の今年の3大重点は①基本法23条立法②経済発展③民生改善─であると説明。中国本土の影響が大きい香港経済は先行きが明るいとは言えない状況だが、経済ではなく、国家安保法制が最優先とされた。

 香港政府は、反対勢力の根絶による社会の安定こそが経済発展を促進すると主張するものの、実際には、香港は「国際金融センターの遺跡」になりつつあるという説が現実味を増しているように見える。(2024年2月5日)