天クロ16 サロンとしてのソーシャルゲーム(後) | カラダとこころと自由のおはなし

カラダとこころと自由のおはなし

こんにちは、「♨さる、」です。「おふろさる」と読んでください。
ニッチな話が大半です。心身にまつわる独り言を、なるべく独りよがりにならないよう綴ってます。
ふつうに生きるしあわせのために。僕と似ているだれかのために。きょうを忘れた明日の自分のために。

さるかに


話はドリランドから天クロへ戻る。

徹1!DASH!の後、初の天下統一戦が終わってすぐ、おれは東京の高順位キープ作戦「まったりファランクス」を1ヶ月半くらい続けた。1位獲り作戦で培った団結を天下統一戦の勝利につなげるつもりだった。
東京はしばらく集計10位台の常連だったが、徐々に参加人数が減ってゆくのは合戦コメの数から感じていた。一度登りきった山なのだし、同じモチベーションは保てない。何よりおれ自身の順位への意識が薄らいでいった。何度か20位台になった頃、おれは役割を終えたと判断し同作戦の終了を掲示板にカキコ。5月半ばくらいの事だったと思う。
東京は集計1位を達成し、続いて天下統一県も達成。さらに統一戦を2連覇した結果、県として一致団結すべき目標をすべて達し、7月ごろには1つにまとまるベクトルを失った状態になった。

おれは天クロの引退を考えていた。進歩向上がなければ惰性の時間潰しになる。合戦イベやレイド等、個人の目標には興味が薄い。一番頑張ったのが天下統一戦の212位だけど、これは全体を勝たせるにあたり付随した結果であり、オマケといえる
徹1!DASH!の後、古参の大半はINが減り、10月末現在ではかなりの人を見かけなくなった。Pistol Carbinさんをはじめ、あかしさん&雪菜さん、転化糖一郎さん、もふちょむ同盟の面々……数えればキリがない。これは他県も同じだろう。
同時に、ゲームとしての目標はすべて成し得たにも関わらずゲーム内に留まる人もまた多い。おれはここにサロンとしてのソーシャルゲームの役割を垣間見る。

ソーシャルゲーム、というよりネット空間という場に集まるのは「リアルが寂しいから」という単純な結論には帰せない。現代人はリアルと同時にネットの人間関係をもつのが普通だ。おれはこれをバーチャルとは敢えて呼ばない。通信環境の向こうには生の人間がいる。
リアルと違い、ネットではアバターと文字だけを通じてコミュニケーションを取ることでそれらは捨象される。リアルにおいては人としての美醜、衣食住のレベルの差、社会的地位、年齢差、ファンチームの違い等、差異を感じさせる幾多の要因がある。それらは嫉妬やライバル心などの心の隔たりを生む。そうした諸々の要素を感じずに「人と人」の関係に純粋になれる分、ソーシャルゲームという場はリアルより心地よい面がある。(この距離感の効能を見失うと人々は近づきすぎ、ゲームに飽きると疎遠になり、無理に関係を繋ぐことに疲れ、やがて破綻する)

ソーシャルゲームは社会の縮図。ドリと天クロの2つを通じて、ソシャゲには実にさまざまな人がいる事を知った。小学生、高校生、大学生、妊婦、会社経営者、サラリーマン、大ケガで入院リハビリ中の人、シングルマザー、さる、主婦、心身症の人……etc. 共通点はスマホを使っている層というだけ。
これらの人々がゲームという中軸を通じてつながり、いろんな話をしている。そこで得た人とのつながりはリアルにも劣らない。実体物やお金のやりとりがないだけで、助けたい、助けられて嬉しい、いつもの人がいて嬉しい、いなくてさみしいといった気持ちの動きはリアルそのもの。ネットの人間関係はむろんリアルより薄く軽いものだ。そしてそれゆえに有用なものといえる。


ゲーム上では言葉を交わさない人でも、いつもの人を見かけるだけで嬉しいものだ。病みの慰みのつもりで始めた天クロだったけど、思いのほか深く関わることになった。やりとりを交わした人は数知れないし、カキコの数は1000回を超えるだろう。
たけさんが探検ドリランドを先に辞めたことはさみしい事だった。それは今でも地味にこたえる。おれが天クロから抜ける事で恩ある東京の人々にそのさみしさを与えると思うと、それは到底できない事だと悟った。
こうしておれは天クロのサービス終了まで居座ることに決めた。