天クロ9 徹1DASH!の自分的過去ログ その1 | カラダとこころと自由のおはなし

カラダとこころと自由のおはなし

こんにちは、「♨さる、」です。「おふろさる」と読んでください。
ニッチな話が大半です。心身にまつわる独り言を、なるべく独りよがりにならないよう綴ってます。
ふつうに生きるしあわせのために。僕と似ているだれかのために。きょうを忘れた明日の自分のために。

海ざる1

ここまでの内容で、数字上の勝算は概ね立つはずだ。でも、作戦だけでは画餅。現実に勝ちを導くのは自県のプレイヤーの方々だ。
ここからは時系列に沿いつつ、東京1位獲り作戦の変遷を追ってみる。なお、ここは個猿的な日記としての要素が強いので、作戦の情報を求めてる方は全然読まなくていいです。


■東京の1位獲りまでの流れ

◆2012年9月24日~2013年11月後半

●最初の動きは「進撃の東京」

東京は天クロのサービス開始から長らく30位半ばが東京の定席で、40位台も珍しくはなかった。
比較的早い時期、Rさんという方が『進撃の東京』と銘打ち、東京で1位を獲ろう!と県の掲示板で旗振り。しかし数度の作戦の結果は最高で11位。その後しばらく表での動きは沈静化。この間、おれはソーシャルゲーム自体に不慣れで県掲示板はほとんど見ていなかった。その後、水面下では公式サークルの東京ページでNさんやBさん、Cさんを中心に情報の収集とシステムの分析が進む。その中におれも混じっていた。
表の掲示板では、合戦イベで朝には1位だったものが集計時には急落して10位台後半になるなど、集計システムの不可解さ、理不尽さと度重なる不具合が相まって多くのプレイヤーから怨嗟の声がたびたび上がっていた。Ameba運営への鬱憤は相当溜まっており、これは東京だけでなかったと思う。

●自然発生した「○○祭り」と

県獲得Ptの算出式、他県の1位獲り成功の情報など、情報は少しずつ集まっていた。けれど具体的な動きにつながらないまま数か月が過ぎたある日、県の掲示板で祭りが発生する。きのこの山vsたけのこの里、イヌ派かネコ派か、うどん・そば戦争など、合戦コメに好きな方を書いて合計数で勝負するというもの。
おれもその祭りのうちの一つ「イカ投げ祭り」を先導した。コメの中に「イカ」が入っていれば何でもいいというもので、「く:コ彡」とか「イカれてる」「イカしてる」「やらなイカ」など80本近いコメント数が上がったりした。これで「ひょっとしたら東京1位獲り作戦はイケるんじゃないか」という思いがチラリと頭を掠めるようになる。
この祭り自体は盛り上がるも、県の掲示板を見ていない人にとっては内輪で盛り上がっているような感じになり、継続的な順位アップへの流れには結びつかず。槍投げ本数100には届かない状況が続き、これも次第に沈静化していった。

●発起のきっかけは戦友・dさん

2013年10月ごろ、1位獲りに向かう動きもなく、イベもそれほど盛り上がらない状況の下、東京には気怠い空気が漂っていた。この頃、県のTop10で頑張っていた戦友のdさんがフェードアウト。これはなんとかしなくてはならない、と思った。
おれはずっと誰かが1位獲り作戦の旗振りをする人が出てくる事を待っていた。しかし誰も現れない。情報と分析・考察は進むも、先頭に立つ人は出てこなかった。
それで自分が1位獲り作戦を主導することを決意する。しかし同時期、個猿的にショックな出来事と体調不良も重なり、具体的に動くまでに更に1ヶ月半を要した。

◆2013年12月前半~12月27日

12月に入ったあたりから、合戦コメでの会話やメッセにて東京のメンバーが1位獲りに意欲があるかどうかを打診。結果、肯定的な意見が15人以上、反対や不参加の意見はゼロ。ヤル気ありと観て、まず公式サークルの東京ページにて作戦の本格始動を提案。そこで胃が痛くなるほどの意見対立と思わぬ混乱を経て、12月27日に県の掲示板にて「東京1位獲り作戦やります!」と宣言した。
作戦の主導を決意した段階で、戦法の完成度は7割程度。オツムのなかでもやんもやんと「これでなんとかなるんじゃないかナ……?」ぐらいの、お鍋に入れる前の茶わん蒸しくらいのデキだったが、ともかく動こうと決めた。
作戦の決行は「20140214」とした。新年に向けて颯爽と出発したかった事、語呂がよくて覚えやすい事がその理由だ。作戦名は「徹1DASH!」。徹して1位を奪取しよう! の略。メンバーはもちろんTOK「Y」O。

つづく