2007〜2010年までの各著作の裏側で森見さんが何をしてたか・何を思っていたかの話。美女と竹林について、というテーマのもとに、ただもうオトナになった昔腐れ大学生、がゆるゆると文字を連ねる。
ホントに、何もしなくても(何も起こらなくても)原稿用紙は埋められるんだなーと。言語化ができるって、本当に特技だ。それから野放図に暴れさせたカオスを収拾させる知力。「事件は机上で起きている」と言えるのも彼だからこそ為せる技としか言いようがない。
ていうか、読むポイントはブログみたいな、森見さんの近況報告なのだった。特におもしろかったのは、「きつねのはなし」のを書いていたあたりで、森見さんも主人公もは哲学の道に帰ったけれど、森見さんは筆を折りはしなかったところか、背景を知っての、表現を読むと、作品についてもなるほどな、と理解が深まる。
それにしても、本当に何も起こらない、ただの近況報告で読ませるのが本当にすごい。自分はなにかターゲットを決めて深堀りを始めると、かならず教訓めいたことで話を締めくくってしまう。人間的変容というか、そういうのを示さなければ書ききらないんじゃないかと思いこんでいるのか。もしも、わたしが竹林をテーマに書くことになってしまったら、古今東西の竹林を縦にしたり横にしたり、竹を切ってはまた、なにか「そうなのだ!」とか言ってそうだ。
かたや、彼にとって何かをターゲットにするというのは、妄想世界が広がる方向に矢印が向かう。部屋の隅で三角座りができる人物ならば、妄想ではなくて、現実に向かって真理追求するような脳内の遊びもできただろうに、それをしなかったというのが、とてもおもしろく思う。これが個性、持ち味なのだな。
彼の持ち味と彼の努力、幸運が相まって現在の彼自身を作る。世の中には、同じくらい腐れていて、同じくらいゆるゆるとした男子がいるだろうに、絶妙のバランスで彼だけが成功の籤を引くことができたのだな。
もう一度読み返せば、作品とそのときのメンタルや状況みたいなのを合わせてもう少し読み込むこともできるのであろうが(メモを取りながら読めばよかった)、勢いと雰囲気で読んでしまった。それくらい、ライトに読める感じだった。そして、こんなユルなスタイルでも売上が見込めるくらい、この頃にはもうファンがいたのだなと思ったりする。
人の話というのは聞きづらいものだけど、ひと仕事なし終えると、それはいったいどういう何から?と好奇心をくすぐるのかもしれない。とするならば、自分のことを説明することに汲々とするより、まずは仕事をきちんとする、作品をひとつひとつ仕上げていくことが大事なんだな、とまた教訓めいたことを語って、本作の感想を終えることにする。