2015 幻冬舎より刊行。「有頂天家族」から満を持しての、シリーズ2作目。
目次に沿って、あらすじをば。
100年前に赤玉先生と袂を分かった二代目がイギリスから帰朝する(第1章)。一方、偽右衛門を襲名したい矢一郎が南禅寺の将棋大会を支援し、南禅寺の娘玉蘭と距離を縮める(第2章)。一方、矢三郎は金曜倶楽部を辞めた淀川教授と親交を深め、天満屋という元寿老人の手下の幻術師と知り合いになる(第3章)。
弁天も京都に戻り、今年も大文字納涼船合戦が勃発する。二代目と弁天の勝負となり、弁天が負ける(第4章)。淀川教授が金曜倶楽部の手で有馬温泉に拉致されていると聞きつけ、矢三郎は救出に向かう。夷川早雲が天満屋に打たれて死ぬ(第5章)。
早雲の葬儀に長男の呉一郎が戻り、下鴨家と和解する。矢三郎と海星との婚約が決まり、海星に横恋慕していた矢二郎が旅に出る。矢一郎の偽右衛門就任の儀に立ち会うのを赤玉先生でなく二代目が引き受ける(第6章)。
当日、矢三郎と海星が天満屋によって狸鍋にされるべく捕獲され、寿老人の偽叡電に幽閉される。襲名の直前、早雲殺害の嫌疑が掛けられて失脚の危機一髪にある矢一郎と玉蘭が、我が身も顧みず助けに向かう。偽叡電は儀式の執り行われている二代目の邸宅に突っ込む。そこでは、矢二郎がホンモノの呉一郎を証人として、早雲と天満屋の陰謀を暴いていた。
地獄に落ちた二人の脇から現れたのは弁天、そのまま2人は戦いに入る。弁天が去って現れるのは赤玉先生。赤玉先生は丸腰で二代目を圧する。戦いは終わり、寿ぐ新年を迎えて矢一郎は狸会の総長となってめでたし、と言いたいところをラストは傷心の矢三郎が弁天を慰めるところで次号に続く(第6章)。
あらすじ長い!というか、登場人物ひとりひとりが揉め事を抱えており、それをなぞりながら総体ができあがっているのでコンテンツぱんぱんなのである。イベントも、将棋大会、納涼船、襲名式とそれぞれがひとつの本になってもよいようなところをキュッと各々ひとつの章に押し込められているし、赤玉先生VS二代目、二代目VS弁天など、クライマックスにおいてもよいようなバトルも何個も入っていて忙しい忙しい。森見さんの本のよいところは何頁進んでもなにも起こらないところにあったのではなかったのか。
そういうところも含め、森見さんのストーリーテリングの腕が上がったのかもしれない。というか、やっぱり狸が主人公という、あきらかにフィクションのなかで、のびのびと世界絵巻を広げることができたとも考えられる。
「夜行」とか「熱帯」は異世界のすぐ隣に現実があるから読み手も世界観の落ち着きどころの調整にヒヤヒヤするけれど、狸の話であれば、もはやこれは、京都というジオラマの上にネオ京都が乗っかっているようなものだからな。特段のおとぎばなし、ファンタジーの安心感がある。
ともあれ、この話は第三部というシリーズ最終話に向けての足がかりとなっており、手放しで下鴨家のハッピーエンドを喜ばない筋立てとなっている。二代目は天狗稼業を持て余して涙し、ラストの弁天はまた行く末の定まらぬまま孤独に泣く。矢三郎は慰めきれずにただ弁天の側にいることしかできない。
問題はなんなんだろう。自らの能力をもてあますほど優れた人の持つ肥大した自己、それはどこで満足を得るのか、現実との折り合いという意味で言えば、これもまた、森見さんの常套である自立をテーマにしたお話になっていくのであろうか。
そうだな、美人女子の現実との折り合わせは、男子に屈するところにはなく、星の王子さまの薔薇のごとく、最後まで凛として男子に奉仕を求めるところにあるんだと思う。さりとて、二代目のようなエリート男子の現実との折り合わせも、女子に三歩下がらせるところにありそうな気がする。
天狗は天狗の星の下に生まれた以上、ひとり泣くのはスペックに込みなんじゃないかしら。ひとりで泣けないなら天狗の資格はない。と強気で言い放ったところで、とにかく、まとめは次作のレビューに預けることにする。ではまた。
