皆さま、こんにちは。木曜日に卒検を受けて、合格しました。晴れて、大型免許取得です。
先月29日にみきわめをもらってから約1か月。何が起こっていたのかを振り返りたいと思います。
時計の針を NC750をドリーム店に見に行って DCT(クラッチなし)に挫かれて自信を喪失して帰宅したあの日に戻します。
みきわめ奉行の前山教官が見参したのは、その次の日でした。オンライン予約の画面には前山教官が担当するという通知はすでに来ていて、おそらくそこでご裁定が下されそうな予感はありました。
大型バイクにいつどのように乗るか見通しを立てずに卒業してしまうと、ブランクが空いて乗れなくなるリスクが増えてしまいます。少なくとも、公道で乗れる自信がついてから卒業したい。でないとまた普通免許の二の舞、レンタルバイク屋に迷惑をかけながら練習をすることになりかねない。
大型はそもそもシート高が高く、乗れる車種は限られ、レンタルの値段も高い。普通二輪のときのように毎週末、土日土日と借りていくのもかなり苦しいように思う。ああ、いっそ、方針が決まるまで気づかぬふりをして決定的その瞬間からしばらく逃亡してしまおうか。
一方、教習所は基本的な操作を教えるところで、乗る技術を身につけるところではないことはこれまでの経緯でよく分かっている。バイク屋で納車してもらって、自宅まで乗って帰るのもままならない人は多いのだ。それに比べれば、安心して乗れるようになるまで、なんて甘えすぎている。教習期限は5月末日だが、それを待たずしてこれが年貢の納めどきか。
雨のザブザブ降っていたその日、前山教官は「今日はみきわめを出します」と乗車前に通告した。前回、一段階のときのみきわめは、みきわめ出すぞオーラ全開、まだ空気で圧をかけてきたが、今回はもうやる前から確定である。
みきわめがでる予感はしつつも、路上に出れば危険そうな所見があれば、万が一、長居する温情も出るまいかという淡い期待も崩れ去る。
そして、気がつく。ここで裁定を出すということは、要するに「この子の伸びしろはここまでだ」と見切られたのだということに。
少し前にこうした圧があったときは「本当に」危険だったので「卒業したらレンタルですぐに大型に乗ります。きっと今より上手になれるのでもう少し期待してください」と小塚教官に涙目で訴えたものだけれど、それももう限界か(現在も転倒させるので、願わくはもっと確実性を出したかった)。
ああ、大型教習になってから、急制動で止まるときにブレーキをかけてからクラッチを握ること、直角に曲がるときには勢いと減速のバランスがいること、ライン取り、カーブを曲がるときにはクラッチは使わないことなど、本当は普通免許のときに学んでいなければならなかったことを覚えた。
乗り降りですら首を右に向けて降りるほうが安定感が増すのを初めて教えられたように思うのを「前に言ったはずだ」と言われ、遠い昔の記憶を手繰ろうとする(普通二輪の入校日は昨年の5月2日だった)。
普通免許のときに、そうした基本操作についてたくさん言われていたところで、転倒させないように止まるだけで精一杯、次にコースを再現するのでいっぱいいっぱいで教えられることが入る余地もなく、また、言われたことをそのとおりにする技量もなかった。
このごろは「指摘されると直すことができる」ようになり、ようやく教官がたの教えるさまざまなことが身につくようになってきていた。
しかし、何度も言うけれど「みきわめが出る」ということは「これ以上はもう教えない」ということを意味し、「あなたはこれ以上は当面伸びない」と「みきわめ」られたということなのだ。
大型を普通に乗りこなすと決意してこその、「あんしんパック」に守られながらの、予約枠を割いてもらって(卒業させて新しいのを入れたほうが売り上げるのに)迷惑をかけていると自覚しながらも頑張ってきたのに、ぜんぶ時間の無駄だった。結局、中型までしか乗る力がない程度だったら、もっと早く卒業させてもよかったのだ。
いっぱい時間をとってもらって、丁寧に指導してもらって、終着点がここなのか。ザブザブと降る雨のヘルメットのなかで、わたしの目からも水が溢れでる。どこもかしこも流れる水の中で周りにはそれと分からない。
千切れるこころで運転する車はクランクで3回も転倒し、スラロームではパイロンを蹴飛ばし、一本道も波状路もクタクタにコースアウトした。しかし、別れを決めた男には響かない。しつこくぶら下がったところで無粋でしかない。せめて美しく退場することに心を砕こう。
「見きわめ出しますよ」前山教官は言う。わたしも「だいじょうぶ。今日できないのはきっと雨のせい。晴れていればきっと大丈夫」と頑張ってみせる。「大丈夫。あとは自分でやります。公道で倒しながら路上で学びます」(結局、ひとこと多い)
長くなってきたので、1回ここで止めます。