予定は変更され、終日観光となった。元の予定は14時帰宅、のち練習だったので大幅な変更である。先生ご自身は何をするよりヨガに時間を投じたほうが楽しいだろうし、また、ヨガを本当に趣味とするならば同じく観光に割く時間を惜しむだろう。
だが、スポーツジムの筋トレ系のクラスみたいな誘導の人がいたり、太陽礼拝をしたのは人生で2回しかないと話している声が聞こえ、我々の殆どは実はヨガの経験がないらしいことが伝わる。「昼にプールしよ!」と誘い合う姿に、ときによっては「せっかくプール付きなのだから一回くらい入ってみたら」と言われる集団もあるだろうと思う。
とにかく私たちは初めの数日で睡眠時間を削って体調不良で欠席を余儀なくされる人を出すことによって、全体の空気が、ガチで指導者になりたい少数を含め、がんばらない方に振り切ってしまったのである。
予定は午前沐浴、すごいブランコ、オーガニックランチ、午後はパワースポットの洞窟、市場、夕方に民俗芸能の鑑賞となった(観光の内容も密度が高い)。
車は6人乗りが4台で、成り行き上、いつもの皆さんの一人と、別のグループの車に乗った。それは、あとから判明したのだが、関西人の仲間たちの車であった。
「自分、yoshi さんがみんなのなかで1番おもしろいと思うんですよ」「うん、むっちゃおもろいよね」
ええっおもろいんですか。お世辞であろうことを割り引いても、そういう形容詞で評価されたのはずいぶん久方ぶりだ。自分は関東では「絡みづらい」らしく、距離を置かれがちだ。まして齢を重ねつつある女子の価値はますます切り下げられる一方だ。このことを伝えると「関東の人は yoshi の小ネタが拾えないんだね」と云う。
そうなのか。関西の人は拾ってくれるのか。関東の人の「ちゃんとしてないとできない子」という定規を「おもろい」で包摂してやり過ごすことができるのか。
実際、多様な人が混在するクラスで、微妙な人を注意してどうなるわけでもない。罪はないからその場でその部分は矯正されたとして、トータルで学んでいないからまた別のところで歪みが出る。まるっと受け入れていく方法として、関東の人は物理的な距離で調整するが、関西の人は言葉によって心理的な距離を調整する(印象)。なんだか急に関西に住みたくなってきたぞ。
その後は順に行程をこなし、帰りは別行動で歩いてホテルに戻った。ツッコミのないのが当たり前の関東に長く暮らした自分は、自分だけの楽しみを心のなかでこっそり楽しむ技を身につけた。市場でおもちゃの鉄琴を買った自分は楽器の周参見に歩きながら音を鳴らす。誰かと一緒なら市場で選ぶ間に相手を待たせることに気を遣い、道すがら音を鳴らすこともないだろう。
流しの獅子舞の音楽の奏者が脇を抜けるときに音を合わせた。私はその背景の一部として混じわっていく。