まだまだ暑い8月下旬の日曜日、みなさまは涼しく過ごされましたか。わたしはYAMAHA のショールームでバイクをレンタルしてきました。利用料は4時間で1万円に保険が5千円です。

 

 

ああまるでこれから海外旅行にいくみたい!未知の世界への出発だ!と浮つく心もてば駅から国道沿い徒歩20分の道も苦にもなるものか、店のオープン時間5分前にちゃんと集合する。

 

「木曜日に検定合格して、そのまま免許センターに行ったんです。公道走るの初めてなんです」

 

初々しくも新しいヘルメットとギアを身につけると、お店の人がピカピカのマシンの前に自分を連れていきます。

 

「教習所ではスタンドを払って乗ると教わったと思いますが、立ち転けしますから乗ってから払ってください」

 

そんなものかとまたがって、いつもの儀式をとりおこなう。リアブレーキを踏んでキーを捻り、エンジンをかけたらクラッチはニュートラルからローへ。さて、半クラッチのために左手をよわよわ、よわよわ。。

 

「ま‥まえに進みません!!!」

 

教習車ならそのまま前に進み出すところなのになぜー!!!(こころのなかで絶叫)と思う理由は、320cc のこの車はトルク?が教習所ほど強くないので動き出しにはアクセルをかけて勢いをつけてやらないといけないのだそうだ。

 

それは!!聞いてない!!!教習所では、クランクも一本橋も、はたまた普通の道もいつも左手だけで行けたじゃん!!!右手も?同時に?使うなんてできないよーーー!!

 

「公道ではほとんどクラッチは使わないですね。スタートするとき、ギアを上げるときと、止まるときです。止まるときはニュートラルです」 

「ええー!!!じゃ、渋滞はどうするの?!」

「ゆっくり進んでください」

「アクセルで?!れんしゅうさせてください。。」

 

何回かやってみて、どうやら坂道発進のやり方と似ているということがわかりました。そして、そのあとわりとすぐに2速に入れないとエンストしてしまうようです。ところが、YAMAHA さんの前庭は2速に入れてみることができるほど広くない(涙

 

「暑くなりましたよ、お茶でもどうですか」小一時間あまり付き合ってくれているお兄ちゃんが提案して、いったん休憩。

 

再開する頃には日差しはなおなお強くなり、往來の車はますます混み合ってきました。

 

車の流れを観察します。信号が青だと入る隙間がありません。では、赤まで待つと?左折車がばんばん入ってくるのでやっぱり隙間がありません。

 

「この時間帯が悪いんですかね」「ここはいつもこんな感じです。自分、手を上げて入れてあげますよ」ええーそんな申し訳ない時間内に手早くスタートなんてムリムリムリ。。と、尻込みするうちにも時間は過ぎていき。

 

観念しました。この店舗からたとえ出れても、わたしはきっと今度は帰ってこれない。一歩も出ないのも悔しいので、お兄ちゃんに車の流れを止めてもらって50㍍くらい先の角でとっとと停まって本日終了にしました。

 

お兄ちゃんが駆けてきて、帰り道のマシンを押してくれます。「流れには乗れてたんですけどね、恐怖心ですかね」

 

帰り際には気まずい空気が流れ、来たときには「新車の契約書を準備しておきますよ」と破顔だった店長さんらしき人は手のひらを返したようにこちらを見ようともせず、お付き合いしてくれたお兄ちゃんだけが送ってくれました。

 

本日は以上です。教習所を卒業して、ようやく仕事に全力投入できるかと思いきや、ぜんぜん解放されない、それどころか、まだ終わってないのだと思い知らされました。いや、それはわかっていたんだけど。わかっていたんだけど、重い。

 

そもそもの、そもそもの初志は、沖縄で首里城の男坂をバイクで上って、うまくいけば沖縄市まで足を運べたらいいな、というものだったはず。そんなちっちゃい、造作もない「できたらいいな」を実現するためだけにこんなにリソースを使わされるなんて!!

 

と、同じことをわたしの業界にも当てはめてみる。「海外旅行で話せたらいいなと思って」とライトな理由で英語を習いに来る人がいる。主に、定年間近で時間にゆとりができたような人だ。わたしが「ま、3年ですかね」とか答えると「えっ」という顔をする人は少なくない。

 

学生時代に熱心にやっていた人もいるから一概には言えないし、どれくらいの完成度が欲しいのか分からないけど、少なくとも、会話が成立するには「話す」と「聞く」はワンセットで来る。そして、「聞く」のほうは先方からはガチの速さと内容で来る。「親切な人がいるから大丈夫」と英語の先輩は言う。それはいるだろうけど、さまざまなアナウンスなどの連絡事項はわざわざこちらに合わせてはくれないよ。

 

まとめていうと、バイクもまた、バイク界隈の文化を掴むためにはそれくらいかかると腰を据える覚悟がいるのではないかと察する。


腰を据える気がなくても続くものは勝手に続くし、続かないものは続かない。まず、わたしの人生に思いがけず入りこんできたこの闖入者の落としどころをつかむまで、めくる札がある間は(詰んでしまうまでは)めくっていこうと思います。