森見登美彦の作品をしばらく読んできたが、旅行という目的も果たしたので区切りをつけることにした。


今回は新書です。早速、タイトルにある「大人になる」とははどういうことを指すのかについて。結論を先取りして言うと、人間は、知性的な存在でありながら、同時に、とても動物的だ。そんな二重性を「自分は汚い」と思うことなく受容して生きることができるようになることを指していた。以下、目次の下に自分なりの理解を示す。

 

第1章 「狼になる」こととしての若者

1 「人のかたち」への目覚め

2 最初の問いかけ

3 「若者になる」とはどういうことかー「狼になる」ことを考える

4 現代版「狼になる」物語ー『だから、あなたも生きぬいて』大平光代著を読む

 

第1章では、人間は「正義」という物差しで他者を判断し、自分の存在を脅かす相手を人間とみなさない(=狼)ことによって、危害を加えると説明する。ホロコーストしかり、学校における虐めしかり。正義はコミュニティによって決まるため、人はコミュニティの成員となり、他者を裁いて断罪するとき「大人になる」。

 

第2章 「狼」として「家」を出るとき

1 なぜいつまでも親子なのか

2 家庭内暴力への対応

付録 思考実験「十三歳パスポート」の発行ー新しい通過儀礼を求めて

 

第2章では、人は「大人になる」ために、属するコミュニティを選ばされるべきであることを示す。そうでないと、コミュニティ(たとえば、家庭)内で軋轢を生みうる。また、選ぶ仕組みを作ることが「大人になる」ことを促す、と考える。

 

第3章 事件の中の若者ー空想からヒロイズムへ

1 佐賀バスジャック事件と「狼」ー「声」と「ヒロイズム(英雄主義)」

2 中学生五千万円恐喝事件ー「金」と「小さな資本家」

3 「子ども」はどこまで「消費者」なのか

付録 『小僧の神様』に描かれた「お金」の問題

 

3章では、少年と法について考える。1の佐賀バスジャック事件の項では、少年犯罪は罪に問われないこと、2の中学生五千万円恐喝事件の項では、少年は契約のできる消費者として見なされていないことを示し、それでも現実にはそのシステムのなかで生きている矛盾を示す。また、付録の「小僧の神様」の例では、13歳の少年を無力な庇護者として支援するへわきか、独立した人間として尊重するべきか考えさせる。

 

第4章 文化の中の若者

1 なぜ「電波少年」のような「中継番組」が増えてきたのか

2 なぜ過剰に「キレイ」好きな若者が増えてきたのか

3 なぜ「うそ」をつくことはいけないのかー「二つの顔」を生きはじめる頃

4 なぜ若者には音楽がいるのか

5 なぜ「援助交際」が「悪い」と言えるのか

 

第4章は、人間には表裏の2面性があり、裏は「嘘」によって体裁が整えられる実態があるが、それは改めて説明されないため、つまずく少年がいることを示す。「キレイな自分」に固執する少年たちは一面的な自分しか認められないのだ。一方、「音楽」は言語に拘泥なく少年たちの感覚を表現するため、自然なかたちで少年が「大人になる」触媒となりうる。最後に、「援助交際」の悪さを理解できない少年たちも世界に表裏があることを知らないことに起因することが説明される。人間の動物的な側面に対応する「裏」は「表」の正義(=法)とは異なる正義をもつ世界である。「裏」は「表」のコミュニティでは認められない(=「成員(=人)」として見なされない)点が「援助交際」が「悪い」と表現される理由である。


第5章 「なぜ大人になれないのか」をめぐってー「狼」のイメージを再発見するところから

付録 「外国人(エイリアン)」としての主人公の位置についてー『人間失格』を読み替える

 

第5章は、総括として「大人になる」というのはコミュニティの成員になることであり、コミュニティにおける正義を共有できない(=理解し合えない)場合は「外国人(=エイリアン)」となる。「狼」とは「エイリアン」の比喩である。逆に言えば、コミュニティの成員として恩恵を浴するものは、知らず人に危害を加えているとも言える。「大人になる」ときには、「やさしい自分」の側だけを見ず、「外国人」を相対的に見ることが求められており、それが難しいからこそ「大人になれない」という言説が世に流布するのではないかとまとめられていた。