前回のつづき

 

5合目のバス停留所に戻れば話は済むのかというと実は案外そうでもない。「家に帰るまでが遠足」だからね!

 

5合目のスタート地点に戻って初めて気がつく。バスにはバス時間があることに!1時間に1本のそのバスは5分後の10時45分発。慌てて停留所に駆け寄ると、バス会社の案内の人がいて、わたしが往復切符を買った御殿場駅行は11時48分の発で、でもラッキーなことに東京方面に行くなら、たった1700円を足すだけで今出るバスで新松田駅まで行けるという。

 

急いで急いで、と急かされて乗った途端に出発。しかし、冷静に考えてみると、ちょっと休んでお茶を飲んだり土産物を見るうちに1時間など瞬く間に過ぎたろう。余計な出費をしてしまった。下山の感慨に耽るまもなく、また初対面の人の情報を吟味することなく乗せられてしまった。

 

もしも、わたしにお金がなければ「切符を持っているので大丈夫です」と言っただろう。中途半端にお金を持ってしまっているから、つい払ってしまう。

 

御殿場駅からは高速バスに乗る予定だったから、スマホを充電しながらシートを倒して安心して眠っていけただろう。新松田駅からの電車のようにいきなり普通の人々のなかにストックを挿したリュックを背負って乗り換えを待つことも、こんなに早く下界の熱風に晒されることもなかったわけだ。

 

わたしを急いでバスに乗せたお姉さんはいったいどんな得をしたのだろう。次のバスのが混むのだったのか?あるいは、小田急線に乗せたかったのか?とにかく、1度立ち止まって自分で考える癖をつけていかないと、動転する間に持っているものを全部持っていかれかねない。

 

家に着いてからは早速、レンタルした道具の返却のための荷ほどきと集荷の電話をする。今回、わたしを助けてくれたヘッドライト、雨具、膝のサポータ、砂カバー、ストック、ザックたちに「あなたのおかげで完遂できた」と愛おしむ気持ちで袋にしまっていく。

 

ヤマトの集荷は明日の集荷扱いになることが分かった。慌ててレンタル屋に電話する。「わざわざありがとうございます」そうか、山関係の人は、山の天気、多数の外国人を相手にしているのでかなりフレキシブルなんだった。

 

最後の後始末は、自分の身体のメンテナンスだ。近所のかかりつけの整骨院に(帰りの電車ですでに予約がとってある)行って、膝の捻挫を見てもらう。「砂走りしてたらピッといっちゃったのよピッと」と説明すると「熱は持ってないようですから温めて張りをとりましょう」という。曲がらなかった膝の屈伸ができるようになり、ああよい先生に見てもらっていると胸が熱くなる。

 

「動かないようにテーピングもしといてください」と頼むと、「テーピングはよくないですよ、固定するなら包帯かサポータがいいし、いまの施術で痛くなくなったなら、あとは何もせずに家で静養すればだけで大丈夫」そうなのか。

 

というわけで、固定せずに歩いて家に帰るが、歩くうちに痛いじゃんよ!(怒)そして、家で氷嚢で冷やすと気持ちいいじゃんよ!てことは、まだ患部は熱持ってるってことじゃんよ!(怒)つまり、彼は理学療法的な腕前はよいのだけれど、診療といった点で適切な判断はできなかったのである。医師じゃーないからな!そして、彼はたぶん、サポータの在庫がなくて、欲しければ薬局でわたしに自分で買ってほしかったのである。

 

あんな涼しい顔をして患部を温めて、サポータの在庫がないと言わずに上手に都合好くごまかしたな!と憤ったところで、気持ちを静めるために手にとったスマホでたまたま以下の名言に出会った。

 

Bravery is being the only one who knows you're afraid. — Franklin P. Jones.


突然、理解した。責任は取らないくせに完璧をお膳立てしてほしい自分の被害者づらと、そんな自分が知らない勇気が世の中にはあることを。


間違っているかもしれなくても貫ききる勇気。決断する人は、不確かななかで、それでも自分にできることをよかれと思って関わっていくのだ。根拠なんかなかった。自分で決めたという理由だけがすべて。そうだったのか。