昨年の今頃、一昨年の今頃は修士論文の目処が立たず命を縮めたものだけれど、今年の新春は充足感でいっぱいだ。

 

暮れには同僚の女性が担当を全うできず、他者の助力を扇いだが、自分はしっかりとプロジェクトを完遂し、立場を認めさせることができた。来年の正規採用も決定した。

 

本当に大学院に行ってよかった。ロジックを積み上げて世界を構成し、人と共有する方法を学んだ。人に振りまわされることがなくなった。自分が作っている世界のアイテム集めに一点集中することができるようになったからだ。

 

今日、隣にいる人も明日はどうか分からない。好意があれば別れの寂しさも一入だが、わたしには生まれた以上、わたしを完成させるというミッションがある。それがこれまで親切にしてくれた数多の人への責任でもあるのだ。

 

見るものが済みきって見える。今年はますます自分自身のメンテナンスを大切にしよう。壊れたところは修復しよう。壊れそうなところは手間をかけよう。出会うことになったひとつひとつに愛情を与えよう。

 

今年は、気が重くても、礼儀として期待されるご挨拶を欠かさないことを目標にする。特に、お断りから逃げないようにしよう。

 

あとは、愛されようが愛されまいが天に任せよう。愛されるというのは「最初のひとりが『かわいい』と言い出すまで」の話で、言い出す前も、後も、わたし自身はなにも変わらないのだから。

 

浮わつく心の扱い方を工夫しよう。「アイテムを集めてかたちにする」たくさんのものを創造しよう。この気持ちを忘れないでいよう。紅白で見た山本リンダと郷ひろみを思いだそう。年齢のせいで自分を見失うことはまったくない。

 

いま見えているものは過去の結果でしかない、現在はつねにプロセスにあり、いまがしっかりしていればその道は自ずと未来を開いていく。この夢をしっかり生ききろう。

 

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わたしはとても恐がりで「わたしになんかきっとできない!」と腰が抜けて小さく丸くなって外側と音信不通に閉じ籠ってしまいそうになるけど、かなえたい夢がある。やらなければいけないことがある。逃げ腰でひと目につかないように写真の端っこに逃げ出さないように。堂々とまんなかで笑えるように。それに値する自分の大義を見失わないように。しっかりと意思を持って立つ。やること、続くこと、できることが前提

。そのために手を尽くす。