「冬の夢」はフィッツェラルドの代表作である「華麗なるギャッツビー」の前身と聞いて、興味をもった。村上春樹が訳した小説を読み、映画を見ると、なるほど、「華麗なるギャッツビー」は「冬の夢」より複雑性を増し、さまざまな視点から論じることができる作品として仕上がっている。


この話は、端的にいうと、格差社会に生じた悲劇である。主人公ギャッツビーが低所得層から財力を蓄えて立身出世(アメリカンドリーム)を志すも、最後の詰めで上流階級に手が届かず敢えなく散る。


彼が抱く志は、日本に準えれば経済成長期にモーレツに働いて財を成したショーワ世代、一世を風靡したバブル世代とメンタリティを同じくするかもしれない。


ショーワの努力は報われた。アメリカでなされる努力も報われることになっている。しかし、それは建前で現実には報われない、そういう無念がギャッツビーの惨敗を通じて描かれている。アメリカは日本人が考えるよりずっと格差社会の闇を抱えているのだ。


若いギャッツビーは「上流階級」に恋をした。「デイジー」はその象徴だった。ギャッツビーは彼女を通して富裕層の文化に浴し、その洗練に魅了されてつよく欲した。彼を受け入れたデイジーは「上流階級」に向けて開かれた扉だったのだ。


しかし、その扉には制限時間があったことに思い至らなかったところに彼の敗因がある。彼は「デイジー」と釣り合わせるための財を成すのに5年もの時を費やしたのだから。


「経済力」「才覚」「年齢」「愛情」などのリソースを最適にするタイミングが人を結婚させる。女子の適齢期は短い。ギャッツビーは先に結婚して「年齢」を確保してから、「才覚」を発揮してデイジーの求める「経済力」を身に付けるという計画を立てるのが正答だったと考えられる。


しかし、その計画が成功した可能性は低い。なぜなら、デイジーは結婚の条件に「経済力」があったからである。デイジーと彼のタイミングは合いようがなかった。もとからご縁はなかったのである。かたや、トムは条件をすべて満たしている。彼と結婚したデイジーに責められる理由はどこにもない。


ご縁がなかったにもかかわらず、たまさかトムの不誠実による不幸な結婚生活のおかげで、ギャッツビーはデイジーを奪い取る寸前まで持ち込んでいく。ナイスファイトである。だが、最終的にトムに負けるのは、「自分は勝って当たり前だという既得意識」の有無であったのではないかと思う。トムはギャッツビーの痛いところを突いた。そして、ギャッツビーは余裕を失うことで馬脚を現した。見事な論破だったと思う。このドラマを見るだけでもこの小説を読む価値がある。


この「デイジー」を賭けたつばぜり合いに負けたあとの成り行きも圧巻だ。ギャッツビーは交通事故を起こしたデイジーの泥をかぶり、不名誉に散る。トムもデイジーも保身のために罪を彼に着せるのを正当化するのにである。


彼は試合に2度負ける。彼は、最初に負けたときに撤退し、反省して次の夢を探しにいけばよかったのである。しかし、彼にとっては、人生の目的と「デイジー」があまりにも同化していた。留まることを選んだ彼は緩慢な自殺への選択をしたことと同義ではなかったか。


このような後知恵について彼は無知であり、「上流階級」に成り上がっても遅かれ早かれまた別の障害に阻まれていただろう。それでも、まずは自分の信念に基づいて行動を起こし、勇敢に人生に立ち向かった姿勢が、語り手ニックに「グレート」と呼ばせた理由であろうと考える。


というのも、ニックはギャッツビーの葬儀をとりまとめるまで、これら一連の不道徳に対する判断を留保し、傍観の立ち位置にいて、自分の人生を主体的に生きていなかったからだ。


その後、ニックは道徳的判断を取り戻し、地元に帰るところで話は終わる。人生は努力したところで成功するとは限らない。また、人生で価値のあるものを見いだすことも易しいことではない。しかし、人はどのみち死ぬのである。十分にやりきったギャッツビーはバッドエンドを迎えたとしても、尊敬に値する人間なのだった。


「結構だ‥ふと思い出したんだけど、今日は僕の誕生日だったな」僕は三十歳になっていた。(P246)


この話は、突き詰めていうと、人は生きるために何が必要なのかを問うているように思う。貧しいうちは、財があれば幸せになれると思い、努力する。しかし、財を成しても、人に利用され、幸せに至らないこともある。アメリカンドリームはない。人に期待する愛も倫理も信用ならない。


筆者フィッツェラルドの生きた時代は、豊かになると同時に、そのような問いが投げかけられた時代であったと思う。「冬の夢」「華麗なるギャッツビー」どちらも人生に夢を掲げ、それを目的として努力する尊さを示すとともに、それが失われる空虚が憂慮されている。


しかし、それに対する希望はニックが「判断」を取り戻そうと西部に帰るところに示されていると思う。意味のない世の中に意義を見いだして生ききるのが私たちに与えられた使命なのであると思う。ギャッツビーを不幸だと判断するなかれ。彼に意味を持たせるのもまた、私たちなのだ。