前回、「人は叶うことを信じることが出来ないと、願うことを諦めてしまう傾向が高い」というお話をしました。
 人の心というものは、おそらくその本人が思っているより弱いもので、人は、「願いを持っている状態」
「願い続けている状態」が不快なものであると、思ったよりも簡単にその願いを手放してしまうものです。
 そんなことはない! 私は強い意志を持ってこの願いを望んでいる! という方がいらっしゃることはもちろん承知しているのですが、
世の中は以下のような嘆きであふれています。

「私の願いは◯◯で××なのですが、叶うでしょうか?
同じような状況で叶った方がいたら、教えてください」

「私の願いは◯◯ですが、××で△△でつらいです。苦しいです。
こんな私でも叶えることは出来るでしょうか?」

 彼女たちが求めている答えはきっとこうでしょう。

「私の状況はあなたと同じですが、叶いました^^ あなたも必ず叶いますよ!
「大丈夫! ××で△△でも、必ず叶いますよ!

 人はいつでも「確約」を求めます。注文した品が注文した日に届かなければ、注文した店に不快な感情を抱くものです。
 すごく欲しい物を注文しようとして、「運が良ければいつかお届け出来るかもしれません」と言われ、ためらいなく注文できる人はどのくらいいるでしょうか?
 もちろん、無料ならば「運が良ければ手に入るなら、頼んでおこう」と言う人はたくさんいるでしょうが、それが先払いで対価が必要なものであるならば、大半の人がためらうことでしょう。
 この場合の「注文」は「願いを持ち続けること」で、支払う対価とは、「願いを持ち続ける」ために使う全ての労力です。
 この労力は、メソッドなどにかける時間と労力はもちろんですが、何より、「願いを持ち続けていることにより生まれる全ての不快な思い」が、最も大きな対価であるとほおずきは考えています。

 「復縁」を例に取ります。

『彼に冷たくされた。つらい。悲しい』
『彼に新しい恋人が出来た。どうしようとものすごくあせり、不安を感じる』
『彼が他の人と結婚してしまったらどうしよう、と想像してしまい、不安で夜も眠れない』
『彼に着信拒否された。すごく不安で悲しい』
『彼のことを考えると、不安な想像ばかりが浮かんで、苦しくてたまらない』
 ...etc

 これらの不快な思いは全て、

【復縁を望んでいなければ感じる必要はない】

ことです。
 そして、これらの感情は形は変われど、真剣にその願いを追えば追うほど、どんな願いにも付きまとってくるものです。

じゃあ、どうしたらいいの?

 ここでようやく、【自愛(自己肯定)】が再登場します。

 ほおずきの見解では、自愛は、家を建てようとした時の「土台」にあたります。
 この土台をしっかりしないままに家を建てようとしても、ガタガタの家が出来上がるか、もしくはそもそも、家そのものが出来上がらない可能性が高いでしょう。
 ほおずきの理論では自愛=自己肯定となりますが、「自己」の「肯定」という土台が出来ていない上に、
「願望」という家を建てようとしても、なかなかうまく行かないことが多い(※皆無ではない)でしょう。
 理由は簡単、「願いを叶えようとする気持ちが、とてもぶれやすくなる」ためです。
 
 現代魔術の言い方に乗っ取るなら、「自分の内側に望む変革を起こし、その影響を外界に及ぼす」の、「自分の内側に望む変革を起こす」にあたり、
「この願いは叶うのだろうか」「この願いを持ち続けるのが様々な理由でつらい」という気持ちであふれていたならば、
「自分が望む形の変革」など、まず起こすことが出来るでしょうか?

 ところで、「変革変革というが、そもそもその変革とはなんだ」という疑問が生まれると思うので(私自身も疑問に思いました)、それについて少し解いてみようと思います。
「自分の内側に望む形の変革を起こし、その影響を外界に及ぼす」ことにより願いを叶えるわけですが、
 ザ・シークレットの動画をご覧になった方は、「願いのイメージを持った人物から、その波動を乗せた波が外の世界へ向かって放たれて行く」場面を思い出されるかもしれません。
 ほおずき自身、まさに「自分の内側に~」は、あれをイメージしています。
 つまり、まず自分の中に起こすべき変革とは、

「叶っている場面のイメージ」をしっかりと内側に持つこと

 ではないでしょうか。
 ここで、「私はイメージングが苦手で…」とへなへなと崩れ落ちる人がたくさんいるかもいれませんが、それはたぶん大丈夫なのでまず落ち着いてください。
 イメージとは、必ずしもテレビの映像のように「視覚」を重視したものである必要はありません。

 仮に復縁が願望だとして、
 あなたが「自分を愛しさいっぱいで呼ぶ彼の声」をしっかりと思い描けるならば、それで構いません。
 あなたが、彼と恋人つなぎでつないだ彼の手の暖かさを、しっかりと思い描けるのならば、それで問題ありません。
 あなたが、彼に優しく抱きしめられた時の暖かさ、心地よさを、しっかりと思い描けるのであれば、それで大丈夫です。
 上の全てが思い描けなくとも、あなたが、彼と結ばれた時の「心地良い何か」を思い描けることが出来るのであれば、それで全てOKです。
 繰り返しますが、イメージとは、必ずしも映像に限る必要はないのです。

 さて、この「叶っている場面のイメージ」を胸に保持することがまず第一歩になるわけですが、そこでまた、自愛に立ち戻ります。

 愛する彼に着信拒否をされたショックに打ちひしがれているとき、彼に愛されて幸せいっぱいなイメージを描ける人は、そうそう多くはないと思います。
 そこで、特効薬とまでは言えないかもしれませんが、強力な助けとなるのが「自愛=自己肯定」です。
 人の心は、鍛える事ができます。ショックなこと、つらいこと、悲しいことがいっぱいあって、心が嵐の海に投げ出された小舟のようになったときも、
荒れ狂う波を一喝して鎮めたイエスのように…とまでは行かずとも、「耐えられる」心になることが出来るのです。
 その方法の一つが自愛です。自己を肯定するというのは、自分の全てを受け入れるということです。「あなたは大丈夫」と自分に言ってあげることです。
 つまり、究極的には、「何が起きても揺らがない自我」を手に入れることです。
 もちろん私達は人間であるので、「何が起きても揺らがない」ということに一朝一夕ではいきませんが、
 何かが起きてぐらりと揺れても、自愛をしていなかった時よりもずっと早く状態を「フラット」あるいは、「心地良い」気分の状態に戻すことが可能になります。
 それがほおずきの提唱する自愛=自己肯定です。

 外でつらい目に遭ったとき、
 上司に理不尽な理由でこっぴどく怒鳴られたとき、
 ライバルと思っている相手に打ち負かされたとき、
 愛する相手にものすごく冷たくされたとき、

 そんな目にあって、家に帰ってわんわんと泣いているとき、あなたをそっと抱きしめて、

「あなたは何があっても大丈夫、
上司は必ず間違いに気付いて謝ってくれるし、
ライバルには必ずすぐ追いつくし、
愛するあの人は必ずあなたの魅力に気付いて、謝罪してあなたを抱きしめてくれるわ」

 と言ってくれる、マリア様のような人がいたら、あなたはいつもより早く泣き止むことが出来ると思いませんか?
 それを自分で自分にしてあげられるようになる、そして自分にしてあげるのが、自愛=自己肯定です。

 さて、「なる」はどこに行ったっけ。と立ち戻ってみると、
「自分の中に、しっかりした願いの叶ったイメージを持つ」部分が、「なる」という言葉に当てはまるかな、とほおずきは思います。

 なぜならば、「イメージ」を持ち、自分の内側に変革を起こすことが出来たならば、
あとは"ぱちんと指を鳴らす"ごとく、「意図する」「決める」≒「強く願う、信じる」ことが出来れば、
願いは叶うからです。
 なる、なったあとは「ぱちん」をして待つだけ。簡単ですね?

 そのイメージをしっかりと持ち続けるために、イメージングを重ねるもよし、アファメーションを唱えるもよし、断言法をするもよし、
ゼクシィを買ったり印鑑を買ったり、毎日を「既に叶ったものとして過ごす」のもよし、
その持ち続けるためのメソッドは、人それぞれです。

まとめると、
「なる」「先取りする」=「自分の中に、願いの叶ったイメージをしっかりと持つ」
→問題点:感情がブレブレで幸せなイメージを抱けない
→解決策:自愛をする

「イメージをしっかり持ったので、それを外の世界へ押し出す」
→問題点:感情がブレブレで、強く信じたり願ったりすることが出来ない
→解決策:自愛をする

ということになるでしょうか。 
ここで「意図する」というキーワードと、「自愛」についての掘り下げが少し足らないな、と思いますが、
またまた長くなりましたので、今回はここで筆を置かせて頂きます。
乱文長文失礼をいたしました。



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