前回の「なる」「あるを見る」「なる」「あるを見る」「なりきる」「先取り」 2/2で、
現実を見てしまった時に動揺して、ネガティブになっても、
自愛」=「自己肯定」によって心の筋トレをしていれば、比較的すぐにフラットまたはポジティブに戻ることが出来る。

というお話をしました。
今回は、それについて少し掘り下げてみようと思います。
そもそも、「自愛って何さ?」ということで、自愛という言葉について少しGoogle先生におたずねしてみると、
isaさんのまとめにたどり着きました。

私自身はisaさんについてあまり詳しくないので、↑をざらっと読んだ程度の知識、
ちまたで語られている「自愛」についてのあれこれから、ほおずき論の「自愛=自己肯定」である、
という結論にたどり着いたのですが、↑のまとめを読んでいて、最後の、

60 叶ったり叶わなかったりでもいいと思う事が逆に手綱を緩める事になる

という一文がまず目に止まったので、これについてつらつらと語ってみようと思います。
現在、ほおずきが注目している潜在意識ちゃんねるのスレ、
潜在意識メソッドの共通点を見ることで核心に迫るスレ
でも語られていたことがあったと思うのですが、
「願いが叶う」未来「願いが叶わない」未来の両方を「受け入れる」ことをしたほうが、
結果的に「願いが叶う」未来を引き寄せるという現象が起きることがあるようです。

これはどこのスレであったか失念してしまったのですが、
シークレットの本スレで、「良い点数をとっている未来だけをイメージした」学生と、
「良い点数をとった未来」「良い点数のとれなかった未来」の両方をイメージした学生の群を比較した結果、
両方をイメージした学生の群のほうがテストの点数がよかった
という実験がアメリカのどこかで行われた、という記事がほおずきの頭に残っておりました。

イメージングは、「叶った状況だけをイメージするものではないのか?」という疑問が発生します。

さて、ここで自愛に話を戻します。
では、自愛=自己肯定をするというのは、具体的に何をすればいいのでしょうか?

これに対するほおずきの答えは
「とにかく自分の全てを受け入れ肯定する」というものです。

1.何かの物事を行っていて、それが順調であり、楽しい自分。
→これを肯定するのは比較的簡単でしょう。
何かを順調に運んでいるのは自分自身であり、客観的に見れば、「自分を楽しませているのは自分」です。
自分を楽しませている誰か=自分を肯定し、受け入れるのは、概ね簡単なことです。
ただし、自分をとにかくけなすくせがついていて、
「こうして順調に行っているけれどいつか必ず失敗する」という不安に常につきまとわれていたり、
「こうして順調に運んでいるのは自分の力ではなく、偶然だ」という観念に囚われている人は、
まず、「今、物事を順調に運んで自分を幸せにしてくれている【自分】」に感謝し、彼を肯定し、受け入れてあげることから始めましょう。

2.何かの物事を行っていて、それが難航しており、イライラしている自分。
→さて、これを肯定するのは簡単でしょうか?
物事を運んでいる自分、しかし、その【自分】は手間取ったりとちったりしていて、
自分をイライラさせている。
いわゆる、「やり場のない怒り」が「自分自身」へと向かう、ありがちなシチュエーションです。
この自分を肯定して、受け入れてあげるのは、少し難しいことかもしれません。
しかし、そんな自分も肯定して、受け入れてあげることが、自愛の第一歩です。
「イライラしている」を始めとする、ネガティブな気持ちは、ホ・オポノポノや、セドナ・メソッドを始めとするリリースメソッドで開放することも出来ますし、
「ネガティブな気持ちになっている【もう一人の自分】」を客観的な視点で見つめ、
かんしゃくを起こしている子供にそうしてあげるように、「そうだね、イライラするね。頑張っているのに、いらいらさせちゃってごめんね」
と、なだめてあげるという手法もあります。
そうして、もう一人、「頑張っているけれど、物事を運ぶのに手間取って難航させて閉まっている自分」を、
きちんと褒めてあげることも大切です。
「頑張ってくれてありがとう、手間取って、うまく行かなくてつらいね。ありがとう、ありがとう」
と、その労力をねぎらい、うまく行かなくて悲しんでいるであろう彼の気持ちも、
慰めてあげましょう。

3.何かの物事が起きて、それが嬉しい事であり、幸せな自分。
→これを肯定するのは一見簡単なようですが、その上のステップ、
「嬉しい事を引き寄せた自分を褒める」という段階もあります。
1.と同様に、「この【嬉しい事】を引き寄せたのは、自分ではなく何かとてもラッキーな何かに過ぎない」という気持ちに囚われてしまう人は、
やはり、意識して、「こんな嬉しい事を運んできてくれてありがとう」と、自分自身への感謝の気持ちを送ってあげましょう。

※感謝と祈りの関連性
ここまで読み進んできて、この「感謝」の気持ちが、どんな宗教にもだいたい含まれている、
「神さまへの感謝」によく似ていることに気付かれた方も多いかもしれません。
毎日の糧や、幸福を当たり前のものとせず、それを受け取った時には、
与えてくれた「神さま」へ感謝の祈りを捧げるのは、信仰を身につけるための初歩的な行動です。
ほおずきは特定の宗教には属していませんが、日本の八百万の神々への信仰に少し似ている、
アニミズム、精霊信仰を信奉しています。公園の大木から、道端の石ころにまで神が宿り、
それらが調和して世界を形作っているという信仰です。
感謝という気持ちは、送る側も、送ってもらう側もとても心地の良い、素晴らしい感情です。
それは愛情とよく似ていると思います。
愛情という気持ちもまた、純粋なものであれば、誰かを愛する気持ち、
誰かに愛される気持ちは、それが特定の関係の上のものでなくとも、
とても心地よいものであると思います。
その感謝を、愛情を、自分自身から送り、自分自身で受け取る、それが自愛であるとほおずきは考えています。
そうして、万物に神が宿るように、私たちに幸福をもたらしてくれる神さまの一人は、
まぎれもなく、私たちの内側に宿る「自分」であり、それは「潜在意識」と呼ばれる存在の一側面でははないかと考えています。

さて、閑話休題。

4.何かの物事が起きて、それが悲しいことであり、とてもネガティブな自分。
→これを肯定するのが、おそらく最も難しいのではないかと思います。
願いを叶えようと志す人が最も多くつまずくのは、
「自分でない外の力」から押し付けられた「ネガティブな気持ちにさせられる現象」
によって、
「ネガティブ=不快な感情」に翻弄される場面であると思います。
では、外から不快な物事を押し付けられた≒叶っていない現実を直視してしまったとき、
自分をどのように肯定してあげればいいでしょう?

「願いを叶えるためには、常に【】=ポジティブな気持ちでいなければいけない」
という、ほおずきから見たら誤解に似た観念に囚われて、
ネガティブな気持ちになってしまった自分を否定し、早くネガティブな気持ちから逃れようともがき、
泥沼にはまってしまっている人を、しばしば見かけます。
ほおずきに言わせれば、それは杞憂、不必要な心配であり、ネガティブになった自分を責める必要は全くありません
再度ここで引用させて頂きますが、
潜在意識メソッドの共通点を見ることで核心に迫るスレ
で、「ネガティブアラート」という言葉が紹介されており、ほおずきはそれを、なるほどという思いで知りました。
これは、「ネガティブな気持ちに陥るということは、自分が間違った方向に来ていると知らせてくれている(アラートを鳴らしている)」という意味の言葉である、
とほおずきは理解しています。

スレッドで紹介されていたのは、
メソッドを続けている上で、不快感が襲ってきたら、そのメソッドは自分に向いていない、
というアラートである。
というものでしたが、
では、またわかりやすく復縁成就を例にとってみようと思います。

復縁を願っている彼にメールを着信拒否された。不安と焦りと悲しみでものすごくつらい。

この場合のネガティブな気持ちは、不安、焦り、悲しい、などです。
では、そのネガティブな気持ちは、復縁を願っている彼女に何を知らせようとしているのでしょう?

とても中途半端になってしまいますが、
中の人が少し疲れてしまったのと、長くなりすぎたので、ここで一度筆を置かせて頂きます。

→続き「自愛」「自己肯定」2/2



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