ご無沙汰しておりました。
14日午前に父が他界しバタバタと葬儀も終わり今日平常の生活に戻りました。
子供の頃から父は厳しく亡くなる直前まで子供に対してその姿勢は全く
衰えていませんでした。
今回10日に入院した当初は未だ亡くなるとは思いませんでしたが12日の朝方に
急激に弱り医師よりご本人の負担を軽減する為モルヒネを投与させて
いただきますと言われ最後を知り、会社を休み母と交代父につくことにしました。
段々と弱っていく父を見ているのが辛く涙が幾度となく頬を伝いもっと何か
父の為にしてやれる事はなかっただろうかと頭に同じ事を廻らすだけで
結局は何も出来ませんでした。 12日からは父の苦しむ姿を見ながらもう薬の
投与も酸素マスクも外してやりたいと思いながらそれすら出来ませんでした。
13日の夕刻にこの血圧のお薬が効かなくなれば本当に危ないですと看護師さん
言われた時は早くそうならないでしょうかと看護師さんを困らせてしまいました。
主治医の先生が何度となく訪れて下さり尿が出てないのが辛いですねとこれが
最後の診察になりました。14日明方に母より電話があり父の一番下の弟と
ボンバーと弟と4人で見送ることが出来ました。
早く亡くなって欲しくないが苦しんで欲しくないと勝手とは思いながらこの4日が
短いのか長いのか今は判断できませんが、この四日間で父の生存してる会える
範囲の兄弟に会うことができ幸せだったのかなと思う反面12日~少し辛かった
姿を見ていたらどうなんだろうかとずっと考えていました。
亡くなった時は悲しいよりは、もう父が苦しまなくって済むと正直安心しました。
14日の朝に主治医が再度訪れて頂いた時には機材が取り離されていた為
お亡くなりになられたんですね、残念ですと深々と合掌しながら頭を下げて
いただきました。親身になって診ていただけで幸せだったと思います。
ボンバー達家族には長く感じた四日間でしたが看護師さん達や葬儀屋さん達
からしたら遺体が痩せていなかったようで、あまり苦しんでいなかったようで
良かったですねと言っていただけた時には少し安心しました。
無事に葬儀も終わり帰宅した時には実感がわいていませんでした。
祭壇を飾ってくれたお花達、、、

蕾ばかり、、、


今朝目覚めて久しぶりにぐっすり寝て父のお骨と写真を見て“あぁ~亡くなったんや”
と薄っすら実感してきた気がします。
今回の父の件があるまでは一緒に看取って貰った一番下の叔父のことはあまり好き
ではありませんでした。 勝手で傲慢で正直叔父とは思いたくありませんでした。
今回父為に病気で出向きにくい兄弟を運んでくれたり毎日足を運んでくれました。
お通夜の帰る時も棺の中の父に思い出を語りながら胸を熱くさせてる姿や何時もと少し
違う叔父の姿、最後の御別れの時にあんなに泣いてる叔父の姿を見たのは初めてで
ビックリしました。 叔父に対して誤解していたことを反省しました。
傲慢にみえていた叔父は、父や他の兄弟達に何かしたかったんだと
今は思えるようになりました。
父とはしばしのお別れでこれから寂しくなるでしょうが何時までも心の中に父は
いますし父の子供であることを嬉しく幸せに思って、これからも父との再開の日を
楽しみに生きていきます。
そうそう今回の件で久しぶりに会った親戚達の面白い事なども
綴っていけたらと思いますので、、、
又、宜しくお願いします。