「どうしよう‥好きになってもいいのかな‥?」
ボーカルのお兄さんの歌声に一瞬で恋をしてしまった当時13歳だった私。
怖いんだけど、なんか惹かれてしまう。
これまでに出会ったことがないジャンルの人達。
未知の世界。
恐る恐る X 沼へと足を踏み入れていった。。
「ボーカルの名前、トシっていうんだぁ!」
まずはそこからだった。
どんどんハマっていくのに、情報を得るための手段が少なすぎる時代。
全てが手探りの推し活。
毎月、ロック雑誌を物色しに本屋へ通うのが日課になった。
一番初めに手に入れたポスターは雑誌の付録だった。
メンバーの眼光が鋭くて怖くなり、剥がして伏せたり、好きと怖いがまだ交差していた頃。
『ENDLESS RAIN』のシングルを買った後、すぐに『爆発寸前GIG』のビデオを手に入れた。
地元ではどこに売っているのか分からなくて、母にお願いして東京のCDショップから取り寄せしてもらった。
毎日毎日擦り切れるぐらい夢中になって観た。
X の全てに興味でいっぱいだった。
1990年。
初めて買ったロック雑誌にメンバーのプロフィールが載っていた。
YOSHIKIがまだ『XXX』という謎のベールに包まれていた時代。
公表していた他のメンバーのプロフを熟読。
TOSHIって24歳なんや!
へ〜。誕生日が体育の日(※)なんだぁ。
HIDEはAB型かぁ。私より12コも上なんだ!
横須賀出身‥横須賀ってドコにある?(←笑)
PATAの本名、石塚智昭っていうんだ!
なんで『パタ』なんやろ〜?(後に判明)
えっ!あのセクシーなTAIJIが一番年下なの!?全然見えない!
X って千葉県出身の人が多いんやなぁ‥
『出山利三』
えっと、、、
トシの本名、なんて読むんだろ‥
とし‥ぞう?
その雑誌には読み仮名が記載されていなかった。
2冊目に買った本の表紙はトシ単独♡
61ページもの X の大特集で各メンバーのインタビューが満載!
そしてそこにもプロフィールが載っていた。
今度はトシくんの本名がローマ字付きで記載されており、そこで初めて『利三』の読み方を知ることとなる!!
※ToshLOVEおよび運命共同体以外の方へ※
Toshlの本名は『としみつ』です!
音楽雑誌のインタビューは、その時々のLIVEレポだったり、メンバーの生の声を文字に起こしたものなので、人柄や思考、語り口調を知る為の貴重な情報源でした。
LOVEちゃんお待ちかねの我らが としくん♡
稀代の暴れん坊将軍時代からのインタビューを抜粋してお届けしたいと思います!
ただし、厳選に厳選を重ねても莫大な量でどれからにしよう‥と。
まずは、としくん自らが語る幼少期からデビュー前までのヒストリー。。
とにかく、どこにでもいる平凡な子供だった。海有り山有りののどかな田舎に住んでて、何やっても中途半端な凡人っていう感じ。だから、つまんないよ。俺の子供の頃の話を聞いたって(笑)。
(中略)
親父も歌がうまくて、カラオケ大会で優勝しちゃうような人だったから。俺がバンドをやるっていった時も、全然反対されなかったしね。だから、音楽の成績は良かったよ!だいたい5だった。あとは…普通かな。中の上っていう感じ。でも、美術はダメだったな。いつも2だった。絵、下手くそなんだ、俺。発想がないんだよ。ヒデちゃんとか、変わった発想ができるでしょ。あーゆうの、全然ないからねぇ。本当に俺、凡人なんだよ(笑)
家は一般的な家庭だったね。野球が好きで、ジャイアンツを応援してて、お爺ちゃんとお婆ちゃんがいて、庭であひるを飼っててっていう…。
(中略)
高校に入った当初は、クラブに入らなかったんだ。でも、周りのヤツはみんなクラブに入ってて、俺ひとりが帰宅部で面白くなかったんだよね。で、なんとなくその頃人気があったバレーボールクラブに入ったの。ここでも、すぐ周りに流される凡人気質が発揮されたわけですね(笑)。そしたら、なんか、レシーブとか、うまかったんだよ。それで、体育会のバレー部のキャプテンにスカウトされたんだ。俺もついバレー部に入ったら、背が伸びるわけじゃないかと言う安易な考えで入部してしまったんだけど…。これが弱いクラブだったら良かったんだけど、本気なクラブだったんだよね。鬼コーチがいて、放課後は暗くなるまで練習があって、朝練もあって…。辛かったよ、本当に。何度、車に飛び込もうと思ったことか(笑)。怪我をすれば、練習がサボれるからさ。辞めたいと思って、コーチとも何回も話し合いをしたんだけど、なぜかやめられなかった。悔しかったんだよね、やめたら、俺の負けだって感じで。だから、俺の体育会精神て、この時に培われたものなんだよ。気合とか、根性とか、大きな声の出し方とか、ね(笑)。
(中略)
高校の終わり頃には、文化祭で何千人集まるほどに人気のあるバンドになっていたんだよ、エックスって。近くの高校のヤツは、みんな見にきてたからなー。それで高3の文化祭の時、すごい盛り上がったんだよ。その時、観客のドーッという声を、初めて聞いてしまったんだよね。地の底から沸いてくるような、すごい声。それを聞いた瞬間、これはやめられないなと思ってしまったんだよ。あの時の感触は、本当に忘れられないよ…。
(中略)
調律学校にいったのは、調律に興味があったからっていうのもあるんだけど、とりあえず東京に行く口実が欲しかったんだよね。別に親に反対はされないんだけど、一応何か口実があったほうが良かったからさ。それで入学したら、いきなり教授会で決められたとかで、委員長にされちゃった。成績優秀だったらしいよ(笑)。だから、1年間、ちゃんと勉強した。でも調律って、すごく細かいんだよね。本当に耳がよくなきゃ、出来ないんだよ。ヘッドホンをつけてもいけないっていうくらいだから、ロックなんかとんでもなかったんだけどね。
それで、1年後、卒業するちょっと前から、ライブハウスに出始めたんだよ。ライブハウスに出るって、俺の中ではすごいステータスだったんだよね。もうライブハウスでやれるっていうだけで、嬉しかったもん。それで、いきなり髪を金髪にしちゃったんだ。学校中、びっくりしてたよ。それまで真面目な生徒だったからね(笑)。
(引用元:ARENA37℃【90年8月号】)
"ニヒルなアヒル"は庭で飼ってた あひるから?笑
美術がダメだったという、今では考えられない としくんの少年時代。
凡人どころか、将来は龍玄画伯として自分の絵画展まで開くという才能の持ち主だったこと!
本当にすごすぎる人生!!
このインタビューから、34年後の未来もこうして としくんと共に歩んでいることが信じられないぐらい幸せな今。
そして今がまた過去になる その先の未来まで、としくんと一緒に笑っていたいな。
※過去のインタビューは、不定期で つ・づ・く