少しばかり遡ること3月3日のニコ生。


『龍玄ひな祭りSP!』


この回のタイムシフトが終わるのも名残惜しかったぐらいの面白さでしたね。

(平将門のくだり何回観たかな‥笑)

としくんとの ひな祭り楽しかったなぁー♡

少年時代、雛人形が欲しかった としみつくんの ひな祭りもLOVEと一緒にお祝い出来て良かった^^


あらためて、ひな祭りとは。。


【女の子の健やかな成長や幸せを祈ってお祝いする日】


"女の子"ってことで、オンナとして生まれてきても、いつの間にか世代交代してしまう ひな祭り。

特に娘が生まれてからは、ひな祭りは娘の行事へと化していき‥

そもそも時の流れと共に、自分のことをもう"女の子"とは思わなくなるもの。

そんな概念をも覆してくれた としくんの粋な計らい。


LOVE=女の子


としくんが、ToshLOVEをいつまでも女の子扱いしてくれることが、ちょっと照れくさいけど やっぱり嬉しい!


番組終盤、推しからの甘々なメッセージ。。


今年も一年 ステキな女の子で

乙女心を忘れず

乙女心いつも持ってて欲しいから

3月3日。女子。女の子。

そんな可愛いあなたをお祝いいたします

今年も一年 乙女心で僕に接してね

乙女大好きです♡


くぅ〜〜〜♡

細胞が活性化して、本当に女の子に戻っちゃうんじゃないかと思うくらいキュンキュンさせてくれる。

そして、自分にこんな乙女な一面がまだあることに自分で驚く。笑


としくんの小学一年生のお話。

ランドセルの話も可愛かったなー。

ちっちゃかったボクちゃん。

ランドセルに背負われちゃってた としみつくん♡

ちびっ子あるある。

ウチの息子もランドセルが歩いてる感じだったなぁ。笑


そのランドセルにまつわる私の思い出といえば!

ランドセルを忘れて登校したこと。笑

教室に着いたら、手ぶらでビックリ!!

急いで家に取りに帰ったら、玄関に置き去りのままでした^^;


整列では先頭のポーズをする子だった としくん。



私は身長が高い子だったので、背の順だと6年間ずっと最後尾の方。

逆に先頭の子のポーズがカッコよく見えてやってみたかったなぁ。。


記憶力の良い としくんが、細かい描写まで思い出してくれるので、そのシーンが目に浮かんで母性がくすぐられる。

我が家にも小学生男児がいるので、男の子という生き物の習性は何十年経とうと変わらないものなんだなぁと。

帽子のゴムを付け替えても付け替えても、なぜかすぐにビロンビロンになるし。笑

としくんの話を聞きながら、息子に としみつ少年の面影を重ね合わせた。


ただ、昭和の子と令和の子では、生きている時代も環境も異なるので、私が子供の時とは明らかに違うことも もちろん多々ある。

昭和生まれの私たちにも『現代っ子』とか『いまどきの子』って言われた時代もありましたが、まさに今を生きる現代っ子の息子に ものすごくカルチャーショックを受けたことは‥


ポシェットの中からスタバのフラペチーノのレシートが出てきたこと!!!


いまどきの小学生はスタバなんて行ってんの??

オサレすぎません??

(ママはキミと同じ年頃の時、公園で駄菓子食べてたぞ。なんなら、道端の木苺とか。笑)


ご近所にスタバがあるとはいえ、プチ贅沢品だから母は滅多に行か(け)ないのに〜!

としくんとLOVEの春の風物詩。

さくらシフォンケーキも、遅咲きながら最近デビューしたばかりだというのに^^;


(桜の塩漬けは食べれなかった派です‥)


としくんが力説していた、男の子特有の何でもないのにムダに走る習性。

交通安全ワッペンが はためいてた話も。笑

足が速かった としくん。


「何か知らないけど、駆け出すの好きだった」


だからか〜

昔は必ずと言ってもいい程、LIVE中は鉄砲玉のようにステージを走りまくっていましたよね。笑 


根っからの体育会系。

全力疾走しても、息も切らさずに歌えるところはさすが横隔膜師匠の弟子♡


そんな横隔膜としくんの中学生時代のお話。

としくんの通学カバンは、肩掛けの白いバッグ。

(画像はイメージです)


そのショルダー部分には、強さアピールの為に としくん自ら書いた『平将門』の文字。笑


(思い出して爆笑するとしくん)

そんな としみつ少年の『平将門』カバンに対抗(?)いたしまして
魅倭少女の中学時代の学生カバンは‥

ジャンジャンジャンジャン‥



『 X 』カバ〜ン!

(ひらがなの『とし』先取りバージョン♡)


PSYCHEDELICでVIOLENCEなV系バッグちっく仕様。


X 命だった時代。


カッティングシートに絵と文字を転写してカッターで切り抜いた自作のステッカー。

当時しばらくハマって、部屋の窓とかにも貼っていましたが‥



今ならこんな根気のいる作業、絶対やんない。笑


としくんがLOVE達に

「どんな小学生だった?」と質問。


コメントを全体的に観て『おとなしかった』という方が大多数だったような。。

控えめで心優しいLOVEさん達。

LOVEの大半が、子供の頃は"おとなしい"という共通点。

類は友を呼ぶ˚✧₊⁎⁺˳✧༚

私もそうだったので、だからToshLOVEの世界は居心地が良いのかなぁって♡


ひな祭りSPのニコ生。

ひなまつりにまつわる、みなさんのおたよりに感動。

私の思い出は暗くなりそうな話題だったので送らなかったのですが、みなさんのエピソードを聞いていたらホロリときたり励みになることも多くて。。


最後に、よろしかったら私の思い出話も聞いてくださいな。


初節句の時の写真


長女として誕生した私。

厳しい父、明るい母の元で大事に育てていただきました。

母は節句や行事をとても大切にしている人で、雛人形を床の間に毎年飾ってくれました。

ひな祭りのお祝いも私が嫁ぐまで毎年欠かさずしてくれ、デザートはプッチンプリンにフルーツを飾ったプリンアラモードが幼い頃からの定番でした。

私の成人式を見届けた後、両親は離婚。

私は母が心配で一緒に家を出ました。

アパートへ引っ越してから初めての ひな祭りの日。

母は泣いた。

雛人形を持って来れなくてごめんね‥と。

母が泣く姿を見たのは、身内が亡くなった時以来だった。

泣きながら何度も何度も「ごめんね」と言う母に、「ヤダー!そのくらいで泣かんでよー!」と笑っていた私。

自分が母親になったからこそ分かるあの時の母の気持ち。

自分のせいで娘が不憫に思えたのだろう。

その時に母が新しく買ってくれていた置き物の雛人形。



「小さくてごめんね」

そう言って母は再び泣いていたけれど、雛飾りに大きさや豪華さは必要ないと思う。

贈ってくれた人の気持ちの方が大切。

今でも娘の雛人形と共に、この歳になっても自分のお雛様も飾れること。

こんなしあわせなことってある?

贈ってくれた母に感謝です。


これが、私のひなまつりの思い出です。

読んでくださりありがとうございました♡