今日はパソコンが調子がいい?ので、
ブログ再開です。
ただいま、フラクタル心理学家族関係コースを解説中。
きょうは、ちょっとテキストを離れて、
私が気づいたことについての解説です。
そもそも、子どもの脳には、お母さんがどう見えているのでしょうか?
子どもの脳は「投影」がまだできないので、
自分と同じ気持ちを人が持っているということがわかりません。
つまり、
自分の嫌なことはイヤなこととしてとらえられるけど、
人の嫌なことはまったくとらえられないわけです。
3歳くらいのときに、疲れて歩けなくなってしまった。
お母さんにおんぶしてもらいたい。
でも、お母さんも荷物を持っていて、おんぶしてくれない。
どんなに泣いても、おんぶしてもらえない。
ひどい~!!
……と、こんな感じです。
つまり、お母さんはロボットなんですね。
お母さんが疲れるなんてことがあるはずないし、
荷物があるから自分をだっこできないなんてことがあるはずない。
こうして、
「お母さんとはこうあるべき」がつくられます。
もろちん、本当のお母さんはロボットではないので、
そんなに子どもの言う通りにはできません。
まして、子どもが二人も三人もいれば、
話を聞いてあげることも、
遊んであげることもままならない。
もちろん、お母さんにも自分がしたいことがある。
そうそう、100%子どものために時間を使えるわけではありません。
ということで、
「~してもらえなかった」という気持ちが残るわけですね。
子どもの頃は、自分が親にどんなに要求をしても、
それは「かわいそうなわたしがお母さんを求めている」
というふうに美化されます。
しかし、お母さんにとっては、どうでしょうか。
「寒いよ、来てよ。すぐに来てよ。寒いよ」
とか、
「体が不快だよ。来てよ。お母さん、すぐに来てよ」
とかという要求が子どもから来たとき、
お母さんはこの言葉を脳で処理します。
自分の赤ちゃんが呼んでいる、と感じる心と、
ただ「誰かが自分に用事を言っている」と感じる心の二つが反応しています。
この後者がお母さんを苦しめることになります。
というのは、
結果的にお母さんがする仕事は、誰が呼ぼうが同じだから。
つまり、かわいい声で「お母さん、~してよ」と言うのと、
「おい、お前! ~をやれ!」と言うのは、同じ。
この言葉が同じだと気づいたのが、
私がフラクタル心理学を研究する過程での、大きな発見でした。
深い脳の部分にはパターンの認識しかないのです。
だから、お母さんには、どんなにかわいい声で言われても、
浅い意識では「かわいいわが子が私をもとめている」と思えますが、
深い意識の中では、暴君の言葉と同じだということです。
もしあなたが、今でも子どもの頃を思い出して、
「あのとき、お母さんは~してくれなかった」
「あのとき、~してほしかったのに(よくもしてくれなかったね!)」
と言うならば、
いまだに親に要求できると思っているわけで、
それは、
「おい、お前! これをやれ!」をお母さんに100回言っているに等しいのです。
つまり、かわいそうな自分の言葉に酔っているだけで、
実は暴君だということです。
自分が暴君だと認識できたら、
お母さんにもう
「あのとき~してほしかったのに…」
と思うのはやめるはず。
こんなふうに考えられたら、
親の愛を感じられない人はいなくなります。
フラクタル心理学家族関係コースは、
親の本当の愛がわかる講座です。
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