★第352話:セリーヌ・ディオンが難病に…。 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

 「世界の歌姫(ディーヴァ)」と言えば、今や時代も変わり、自分たちの世代にはなじみの薄い人たちが多数となったが、現存の歌手として真っ先に思い浮かぶのがセリーヌ・ディオン(現在54歳、写真)である。

 彼女の歌が大好きで、名前を検索してみると拙ブログで59回も出てくる。歌手の中では最も多いのではないだろうか。

 ところが、最近この人の記事にお目にかからないのでどうしているのかと思っていたが、ネットで、最近の姿が載っていたのが、随分痩せた姿(写真右)だった。そこでは、ダイエットに成功したようなことが書かれていたが、実はそうでないようだ。

 およそ100万~200万人に1人の発症という難病「スティッフパーソン症候群(SPS)」であると診断され、ワールドツアーの日程の多くを延期せざるを得なくなったという。【12/8(木)公表】
 これは聞いたことのない病名だが、異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで症状を起こす、免疫寛容の破綻による自己免疫疾患の一種と言うから、今から27年前の1995年10月、当時46歳のとき、約1カ月入院したことがある指定難病・ギラン・バレー症候群と似たような病気だ。

 自分は、いち早く血中の抗体や補体を除去する、血漿交換療法を行い、運よく後遺症などの難を逃れた。

 

 回復を祈りつつ、ここではセリーヌ・ディオンの生い立ちと、そのたぐいまれなディーヴァの歌声を改めて聴いてみよう。

 

セリーヌ・ディオンヒストリー

 彼女の半生を年表にしてみた。


 セリーヌ・ディオンは、カナダのケベック州
モントリオール(地図)郊外の田舎町・シャルルマーニュの音楽一家の大家族に、14人兄弟の末っ子として生まれた。今、その町のメインストリートは「セリーヌ・ディオン通り」と命名されているとのことだ。
 
 誕生日は自分と同じ3月30日。セリーヌと誕生日が同じだというのは、とても嬉しい。

 余談だが、エリック・クラプトン(1945年3月30日生まれ、現在77歳、写真左から2番目)、島倉千代子(1938年3月30日生まれ、2013年11月8日、75歳で没、写真右から2番目)坂本冬美(1967年3月30日生まれ、現在55歳、写真右)も同じ3月30日生まれ。 

 

レネ・アンジェリルとの出会いと別れ

 ところで、今から約10年前の2011年、レンタルショップで見つけた、「セリーヌ・ディオン・ストーリー愛を歌にのせて」(写真)。2008年4月16日発売というから、さらにさかのぼる事3年前の作品だ。

 
 セリーヌの半生を描いた作品だが、ここではその大半を今は亡き夫で12歳からのマネージャーである、
レネ・アンジェリルとの出会いと結婚のことに話題を割いている。

 彼女は小さいころから音楽に非凡な才能を発揮していたが、Ce N'etait Qu'un Reve(It Was Only a Dream)という、母親の作詞で、兄のジェイコブスが作った曲(写真)をプロデューサーのレネ・アンジェリルが聴いて、彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保としてデビューアルバムの発売資金を調達、12歳でデビューを遂げる。

 しかし、当初は天才少女と呼ばれ、トントン拍子の活躍だったが、次第にヒットが途絶え、彼自身は破産、妻とは離婚までする羽目となった。

 2回の結婚と3人の子供があるレネとセリーヌの年の差は26で、親子ほどの年の差。しかし、周囲の反対を押し切って二人は、1994年、彼女が26歳、彼が52歳のとき結婚する。(写真)  

 

 彼女は1991年の「美女と野獣」、1997年の「タイタニック」など、数多くの映画にサウンドトラックを提供し、また1996年のアトランタオリンピックの開会式で「パワー・オブ・ザ・ドリーム」を歌い、ポピュラーミュージック界の大御所となった。これまでのレコード売り上げは全世界で2億枚以上といわれている

 ところが好事魔多し。夫のレネは喉頭がんを患い、2016年1月14日、74歳の誕生日の二日前に心臓麻痺で亡くなった。

 

ヴォイス・オブ・ラブ

 もう1年前になるが、セリーヌ・ディオンの半生を映画化した「ヴォイス・オブ・ラブ」が昨年(2021年)12月24日に公開されている。

 監督・脚本・主演を務めたのは、2016年にセリーヌのコンサートを観て、すっかり彼女に魅了されたというフランスを代表するマルチタレントのヴァレリー・ルメルシエ(現在58歳、写真)。

 ユーモアとフィクションを交えながらセリーヌの半生を、愛を込めて忠実に再現。実在のセリーヌは今も活躍中で、世界に一人しかいない大スターへの敬意を表するために本作では役名をアリーヌとした。なお、彼女の楽曲は、今回大抜擢されたフランスで活躍中の歌手ヴィクトリア・シオが絶妙にカバーしている。

 セリーヌ・ディオン ザ・ベリー・ベスト (1999年)

 自分が今も持っているCD。何度聴いたことだろうか。このCDを発売後、彼女は一時活動を休止した。
 

セリーヌ・ディオンヒット曲集

カヴァー曲

愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face、1999年)

 「愛は面影の中に」(The First Time Ever I Saw Your Face) は、1972年、映画「恐怖のメロディ」に使われ、ロバータ・フラックの歌が全米1位の大ヒットを記録した。(元々1969年のデビューアルバムに収められていた)セリーヌの歌は、1999年年の「ザ・ベリー・ベスト」のアルバムに収められており、シングル・カットもされた。 

 

パワー・オブ・ラヴ(Power Of Love、1993年)

 自分が最も好きな曲の一つ「パワー・オブ・ラヴ」(The Power of Love=愛の力)だが、元は、ジェニファー・ラッシュが歌ったパワーバラード。セリーヌの他、ローラ・ブラニガンエア・サプライなどいくつかの歌手によってカバーされ、数ヵ国語に翻訳もされているなど、ポップスタンダードになっている。

 彼女にとって、ジェニファー・ラッシュの曲をカバーするのはこれが2作目である。1作目は「ハイヤー・グラウンド」をフランス語に翻訳してカバーし、「プリュ・オー・ク・モワ」として発売されている。
 この曲は全世界でスマッシュヒットし、アメリカ、オーストラリア、カナダで最高位にまで上昇した。アメリカではセリーヌ・ディオンの楽曲としては初のビルボード・ホット100に4週連続1位を果たし、ビルボード・ホット100シングル・セールスでは5週連続1位、ビルボード・ホット100エアプレイでは2位、ビルボード・ホット・アダルト・コンテンポラリー・トラックでは4週連続1位を果たした。カナダでは12週1位、計70週チャートインし続けた。

 ブルー音符The whispers in the morning Of lovers sleeping tight  are rolling like thunder now as I look in your eyes (邦訳:抱き合って眠る恋人たちの 朝のささやきが あなたの瞳の中で 今、雷のように激しく蠢いている)ブルー音符という歌詞から始まる。

オール・バイ・マイセルフ(All by Myself=独り、1996年)

 「オール・バイ・マイセルフ」( All by Myself=独り)は、1975年にエリック・カルメンが発表した、パワーバラード。
最後のリフレインの前の置かれる序奏部分バースは
セルゲイ・ラフマニノフピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品18第二楽章(アダージョ・ソステヌート)を基礎に作られている。またコーラスの部分は、カルメン自身が加入していたバンド「ラズベリーズ」のために1973年に書き下ろした曲「レッツ・プリテンド」から取られている。
 その有名なカバーは、1996年のセリーヌによるものであり、アルバム
『FALLING INTO YOU』からの4枚目(国によっては3枚目)のシングルとなった。

 

デュエット曲

ディズニー映画より美女と野獣(&ピーボ・ブライソン)(1991年)

 「ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女と野獣」(Beauty and the Beast)は1991年のディズニーアニメ映画『美女と野獣』の楽曲で、ハワード・アッシュマンとアラン・メンケンによって書き下ろされた。劇中ではこの曲はベルと野獣のテーマ曲として効果的に使用されている。歌詞もすれ違う2人の発展途上の友情を表現し、またその感情が恋愛感情に発展する可能性を暗示している。劇中ではイギリス人女優で歌手のアンジェラ・ランズベリーが歌唱しているが、シングルとしてはカナダ人歌手セリーヌとアメリカ人歌手ピーボ・ブライソンのデュエット曲として発売された。
 映画のヒットに合わせて、この曲も世界中で商業的な大成功を収め、ビルボードホット100ではトップ10にまで上昇し、セリーヌとブライソンにとってアメリカで2回目のトップ10入りとなった。

イモータリティ(immortality)(&Bee Gees)(1998年) 

 「イモータリティ」(Immortality=不滅)は、セリーヌ・ディオンのアルバム『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』からのシングル。

 この曲はビージーズのメンバー、バリー・ギブ、ロビン・ギブ、モーリス・ギブがセリーヌのために書下ろし、彼らはバックボーカルとして参加している。
 歌詞には
「Don’t say Goodbye」という言葉があり、ブルー音符「愛しているけれど、別れるふたりなのだが、決して『さようなら』とはいわない」ブルー音符という、愛からの旅立ちの歌である。

 ビージーズは最も成功したミュージシャンとして、エルヴィス・プレスリービートルズ、マイケル・ジャクソンポール・マッカートニーに続いて5本の指に入り、かるく1億枚を超えるレコードを世界中で売ってきた。

 しかし、今では彼らの生の歌声を聴くことはできない。長兄の
バリー(現在76歳、写真中央)だけが現存だが、二卵性双生児のモーリス(写真右)は2003年に53歳で没、ロビン(写真左)は2012年に62歳で鬼籍に入った。
 この曲を聴くと、ビージーズは、最強のファルセット・バックコーラスグループだとも思う。
I Believe in You(&Ill divo)(2006年)

<歌詞>
 ブルー音符たった一人で君が選んだ道は引き返す ことの出来ない苦しみの道 君はいつかまたきっと光を見つけるだろう 今は分からないだろうけれど 諦めないで 元気を出して 心のままに従って 君の愛で暗闇の中を導いて 元の場所に戻って欲しい 信じている 信じている 信じている 信じている君をブルー音符

 イル・ディーヴォ(Il Divo)は、2004年11月、イギリスでデビューした4人組のヴォーカル・グループ。4人それぞれの出身国が違う、多国籍グループである。

 写真左より、ウルス・ブーラー(テノール・パート担当。スイス出身)、セバスチャン・イザンバール(テノー・パート担当。グループ唯一のポップス歌手出身。独学で歌を習得。フランス出身)、カルロス・マリン (2021年12月19日死去、バリトン・パート担当。スペイン出身)、イヴィッド・ミラー(テノール・パート担当。アメリカ出身)。

 これまでのアルバム・トータル・セールスは、全世界で2600万枚以上。ナンバーワンを50回以上獲得、33ヶ国以上でゴールドまたはプラチナ・ディスクに計160回認定。 ワールド・ツアーを4回にわたって行ってきた。
 クラシック音楽の声楽でポピュラー音楽を歌うクラシカル・クロスオーバーの様式を表現するため、イギリスの名物プロデューサーである
サイモン・コーウェルの手により、2003年に結成された。彼ら自身は、自分たちの音楽をポペラ(ポップ+オペラ)と形容している。
 これまでに、様々なアーティストと共演しているが、最も有名なのはセリーヌ・ディオンである 。


ヒット曲

映画「タイタニック」主題曲「My Heart Will Go On」(1997年)

 ジェームス・キャメロン監督(現在68歳、写真)の映画「タイタニック」(1997年)は、全米で6億ドル、日本で興収記録262億円、全世界で18億3500万ドルと、同監督の「アバター」に抜かれるまで映画史上最高の世界興行収入を記録し、ギネスブックに登録されていた。
 
 主演は
レオナルド・ディカプリオ(現在48歳、写真左)とケイト・ウィンスレット(現在47歳、写真右)で、1912年に実際に起きたタイタニック号沈没事故を基に、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いている。


  そして、1998年のアカデミー賞においては、作品賞、監督賞、撮影賞、主題歌賞、音楽賞、衣裳デザイン賞、視覚効果賞、音響効果賞、音響賞、編集賞の11部門で受賞という快挙を成し遂げた。また、セリーヌ・ディオンが歌う主題歌
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」 (My Heart Will Go On= 私の心は生き続ける)も大ヒットした。

 なお、映画「タイタニック」の中でセリーヌ・ディオンが歌う曲中で使われ、一躍注目を浴びた「ティン・ホイッスル」(写真)は、アイルランドが発祥と言われる笛で、「ティン」は英語でブリキのこと。ブリキを筒状に丸め溶接した、単純な構造の縦笛。「アイリッシュホイッスル」とか、価格の安さから「ペニーホイッスル」と呼ばれることもある。


  

 セリーヌはかなり前から健康に問題を抱えていたものの、最近になってようやく、その原因が明らかになったのだそうだ。SPSは、いまのところ不治の病というから心配だが、症状を抑えるための治療法はあるようなので、一日も早い回復をお祈りしたい。

(Wikipedia参照)