★第312話:初恋【後編】 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

初恋の歌

 初恋のことを歌った曲はとても多い。それだけ「初恋」は多くの人が経験し、その人の人生の一里塚になっているからだろう。

 そのものズバリの題名の「初恋」の曲だが、歌手の名前を知っているだけでも同名異曲がこんなにある。

 更に、一番有名な村下孝蔵「初恋」をカバーした歌手を数えると、65人もいる。(Wikipedia「初恋」をカバーした歌手」参照) 


斉藤由貴/初戀(1985年)

宇多田ヒカル/First Love (1999年)

 

 初恋と言うテーマで過去ブログを投稿したことがある。それなのに、今回何故再投稿なのかと言うと、大したことではないが、それなりの「わけ」がある。

 

四角佳子、CDソロ「初恋」を発売(7/8)

 ★第308話:風の歌【前編】(3/5)で、四角佳子/春の風が吹いていたら (1973年)を紹介したら、7月8日に四角佳子としての初ソロCDとして“初恋”をリリースするのを知ったこと。

 記事を見ると、六文銭ンバー・四角佳子 初のソロ・アルバム。小室等(現在78歳、写真左)、及川恒平(現在73歳、写真中央)、常富喜雄(現在73歳、写真右)ら、新生フォーライフレコードの盟友たちが、四角佳子初のソロ・アルバムのために楽曲を書き下ろし。

 また、日本フォーク史に残る名曲「春の風が吹いていたら」(よしだたくろう)や、六文銭時代の楽曲「ホワンポウエルの街」「インドの街を象に乗って」のリメイクを収録」とある。

 実は、四角佳子さんについては、吉田拓郎の最初の妻だったこと、40万枚も売れたヒット曲、「結婚しようよ」(1972年)は、彼女との結婚のために書いた曲で、歌詞そのままに二人はこの年の6月に長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で結婚式を挙げたこと。(写真)

 それまで、「ジューンブライド」(June bride)とは、古くからヨーロッパで「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」とされる言い伝えがあったが、日本ではこれが発端で6月の結婚式が増えたこと…程度のことだけで、彼女がこんなに歌がうまいとは知らなかった。ギターの伴奏も素晴らしい。

 以来、四角佳子/春の風が吹いていたらを何度も聴いている。

 

村下孝蔵の「初恋」のミュージックビデオ公開(2/25)

 アクセス分析を見ると、7年も前のブログ、「初恋」(2014/10/14)を、普段より多く閲覧してくれていることに気が付いた。  

 こういうのは、大体何かこれに関連したことが起きたときだ。多分このことである。

 

 村下孝蔵「初恋」を現代的な解釈で映像化、発売から39年の時を経て初MV公開(2/25)
 
「初恋」は1983年2月25日にリリースされた村下孝蔵(1999年、46歳で没、写真)の代表曲。

 このたび公開された映像は同楽曲初のMVで、「発売から40年近く経った今も人々の共感を呼び愛され続けもはやスタンダードとも呼べるこの楽曲に、現代のクリエイターが今の感性でミュージックビデオを制作し、さらに後世へと伝えていこう」という思いのもと制作された。MVには俳優の岸せいら高橋大翔が出演している。

 

初恋相手とのご対面番組
初恋相手との再会については、「再会したいと思わない」が多数を占めているようだが、本当は恐る恐るでも会いたいと思っているのではないだろうか。自分は「再会派」である。

「それは秘密です!!」
 日本テレビ系列局で1975年から放送された、
初恋の人に会える番組があった。

 泣きの小金治と呼ばれた、桂小金治(2014年、88歳で没、写真左)が司会を、秋本圭子(前期、現在65歳、写真中央)と清水由貴子(後期、2009年、49歳で没、写真右)がアシスタントを務めていた「それは秘密です!!」だった。

 

村下孝蔵の「初恋」にはモデルがいた
  村下孝蔵の初恋にはモデルがいた。サプライズ企画により、そのお相手と対面したテレビ番組があった。それがこの映像。桜井(旧姓高尾)靖子さんへの想いを綴って5ヶ月もかけて作られたこの曲は、50万枚を超える大ヒット作品となった。

 さすがに思いつめただけの素敵な美人である。

  なお、彼の出身は、熊本県
水俣市なので、彼女とはそこで出会ったのだろうが、村下は1979年に結婚して広島市安佐南区・八木の梅林小学校そばのアパートに住んでいた。「初恋」の"校庭"という歌詞は、娘とよく遊んだ梅林小学校で思いついたといわれ、「初恋」を始め多くの楽曲がこの地で着想されたという。

【歌詞】 
音符
五月雨は緑色悲しくさせたよ 一人の午後は 恋をして淋しくて 届かぬ想いを暖めていた 好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心 放課後の校庭を走る君がいた 遠くで僕はいつでも君を探してた 浅い夢だから胸をはなれない 
 夕映えはあんず色 帰り道一人 口笛吹いて 名前さえ呼べなくて とらわれた心 見つめていたよ 好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心 風に舞った花びらが水面を乱すように 愛という字 書いてみては ふるえてたあの頃
 音符
 

 思わず胸キュンとなる歌詞だが、1983年、30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。「初恋」は村下がバラードとして作ったものを編曲家の水谷公生がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下がそれを受け入れたことで完成をみた楽曲であった。

 

 

 「初恋」発売の前後に、村下孝蔵は肝炎を患い、「初恋」がヒットしてもテレビ番組にはほとんど出演できなかった。

 そして、1999年、東京・駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、「高血圧性脳内出血」と判明した直後、意識不明のこん睡状態に陥り、僅か4日後に死去。46歳の若さだった。 
 命日である6月24日は代表曲『初恋』のワンフレーズより、
『五月雨忌』と呼ばれ10年以上経過した今でもメモリアルイベントが開催されている。
 また、村下の死去から14年を経た2013年、故郷水俣市の商店街
『ふれあい一番街』に代表曲である『初恋』の歌碑が建立され、商店街ストリートの名称もこれにちなみ『初恋通り』と改名された。
 
 (画像は、商店街に設置された村下孝蔵の「初恋」の歌碑=熊本県水俣市大黒町2丁目)


 (Wikipedia参照)