★第176話:ジャンニ・スキッキ「私のお父さん」 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

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10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

好きな音楽の傾向

 どうも難解な音楽は苦手だ。分かりやすい曲、明るい曲、考え込むより楽しめる曲の方が好きだ。それは、クラシックに顕著に表れ、音楽会で長い曲に出くわすと、会場から逃げ出したくなるか、そこで寝てしまうかくらいに退屈になる。

 だから、クラシックでも序曲とか、アリアとか、短くてクロスオーバー的な曲が好みだ。

 今、こんな本を図書館で借りている。「オペラ・アリアベスト101」(相澤啓三編集、新書館、2000年)

  そして、「曲を楽しむなら このオペラ」(2010/11/20付日経新聞)という記事によると、1位:ビゼー「カルメン」 2位:ヴェルディ「椿姫」 3位:プッチーニ「トゥーランドット」4位:プッチーニ「蝶々夫人」 5位:モーツァルト「フィガロの結婚」 6位:モーツァルト「魔笛」 7位:ロッシーニ「セビリアの理髪師」 8位:モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」 9位:プッチーニ「ラ・ボエーム」 10位:プッチーニ「トスカ」と、ビゼー、ヴェルディ、プッチーニの3人でトップ・テンの6割を占めていて、しかもその内4割はプッチーニの作品である。

 こんなCDが発売されている。「プッチーニ:オペラ・アリア集 オムニバス」

 

 自分は、プッチーニ(1924年、65歳で没、写真)のオペラ「ジャンニ・スキッキ」の中のアリアで、ソプラノが歌う「私のお父さん」(O mio babbino caro、1918年初演)が一番好きだ。

 

ジャンニ・スキッキ

 ジャンニ・スキッキ」(Gianni Schicchi)は、主人公の中年男ジャンニ・スキッキが、大富豪の遺産を巡る親戚間の騒動と、若い男女の恋を見事に解決するさまをコミカルに描いた、プッチーニにとって唯一の喜劇オペラ。「外套」「修道女アンジェリカ」と共に、傾向の異なった3つの一幕物オペラを連続して同時に上演する「三部作」の最終、第3番目の演目として、1918年12月14日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演された。次作「トゥーランドット」が未完で終ったため、プッチーニが完成し得た最後のオペラともなった。
 題材はダンテの有名な
「神曲」・地獄篇第30歌から採られた。もっとも「神曲」中「ジャンニ・スキッキ」の名はほんの数行語られているに過ぎない。
 
ジャンニ・スキッキ(バリトン)は、フィレンツェ市外に住む田舎者だが、法律に詳しく、物真似上手で機転の効く男、50歳。その娘ラウレッタ(ソプラノ)、21歳。リヌッチョ(テノール)、大富豪ブオーゾ・ドナーティの甥、ラウレッタとは恋仲、24歳が主な配役。
 時は1299年9月1日、フィレンツェ。場所は大富豪ブオーゾ・ドナーティの邸宅。彼が亡くなったとき、遺言状には全財産を修道院に寄付すると書いてあった。そこで騒動が起きる。
 ここへスキッキが登場。リヌッチョは「何か知恵を貸して欲しい」と頼む。娘のラウレッタが「お父さん、(遺産がもらえず)もしリヌッチョと結婚できないなら、私、ポンテ・ヴェッキオからアルノ川に身投げしてしまうから」と脅すので、スキッキも仕方なく遺産を取り戻す算段を立てることにする。…

 次の構図である。 「簡単にわかる【ジャンニ・スキッキ】のあらすじとオペラ解説・プッチーニ」参照)

 

私のお父さん
 もちろん、上記の本にもこのアリアの記載がある。
邦訳では「わたしのお父さん」の他、「私のお父様」、「わたしのいとしいお父さん」、「私のやさしいお父さん」、「わたしの優しいお父さん」、「オオ・ミオ・バッビーノ・カーロ」、「オ・ミオ・バッビーノ・カロ」などの曲名で言及されることがある。ここでは「お父様にお願い」と記述されている。

 ラウレッタの父スキッキと、彼女が想いを寄せる青年リヌッチョの家族との緊張が高まり、彼女とリヌッチョの仲が引き裂かれそうになったところで、ラウレッタが歌う曲である。中世フィレンツェの偽善、嫉妬、裏切り、争いといった雰囲気とはまったく対称的に、素朴な情感と愛が詩情をもって歌われる。通作歌曲形式によるこのオペラ作品の中でも、一番の聴かせどころとなっている定番曲である。『ジャンニ・スキッキ』の中でも最も広く知られた曲である。
 このアリアを公演で最初に披露したのは、1918年12月14日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場における『ジャンニ・スキッキ』の世界世界初演に出演した
フローレンス・イーストン(写真)で、彼女はその少し前の時期にあたるエドワード朝のイングランドで人気の高いソプラノ歌手だった。以降、多数のソプラノ歌手がこの曲を歌っている。

 ラウレッタが歌う、アリア「私のお父さん」の歌詞は次の通り。

 

 ああ、私の愛しいお父さん 私は彼を愛しているの、彼は素敵、素敵 ポルタ・ロッサへ行きたいの 指輪を買いに そうよ、そうなの、私は行きたい そしてもし、彼への愛が無駄になったら 私はヴェッキオ橋に行って アルノ川に身を投げてしまいたい 私は苦しんで、耐えてきたの ああ、神様、私は死にたい お父さん、許して、許して お父さん、許して、許して

 

 地図で場所を確かめてみよう。まずはイタリア・フィレンツェ。そしてポルタ・ロッサ、ヴェッキオ橋と続く。


 

 ラウレッタが身投げすると脅かすヴェッキオ橋は、橋の上にお店が並んでいて今も昔もフィレンツェで一番人出の多い場所。婚約指輪を買いに行きたいというポルサ・ロッタ通りは、ヴェッキオ橋からまっすぐ共和国広場に向かう通りを、その少し前で左手に折れた通りだという。

 

 このアリアは、ポピュラー音楽やクロスオーバーの歌手たちもしばしばコンサートで取り上げ、リサイタルのアンコールなどで歌っている。

 

ポピュラー歌手による「私のお父さん」

 自分は、ノルウェーの歌姫 シセル(51歳、写真左)の歌が一番好きだ。彼女もソプラノ歌手で、「クリスタル・ボイス」とも評せられる透明感溢れる歌声と安定した歌唱力が世界的に高い評価を受けている。 

 シセルの生れた町は首都
オスロ(人口56万9千人)に次ぐ、ノルウェー第二の都市ベルゲン(24万8千人、中央地図)。フィヨルドに囲まれたノルウェーの西海岸、「ペールギュント」の作曲者、グリーク(1907年、64歳で没、写真右)が生れた地でもある。
シセル/私のお父さん」

 

これは、ヘイリー・ウィステンラ。
ヘイリー・ウィステンラ/私のお父さん

 

オペラ歌手

 この人の歌声は凄い口笛

アイーダ・ガリフッリーナ/私のお父さん

アンナ・ネトレプコ/私のお父さん

マリア・カラス/私のお父さん

 

最後は、驚異の美声
 オランダの素人発掘オーディション
「オランダ・ゴット・タレント」スーザン・ボイルを発掘したことで有名だ。2013年、そこに現れた9歳の少女アミラ・ウィルハーフン(写真)。

 彼女は全くの独学でオペラの「私のお父さん」を歌いこなしていたのだ。その歌声に審査員も含めた聴衆が総立ちで拍手した。そしてその歌声はすぐに世界中を駆け回った。動画では、その時の模様。第二のスーザン・ボイルとも呼ばれた彼女と、審査員のやり取りもお楽しみください。
アミラ・ウィルハーフン/私のお父さん

 あれから8年。当時9歳だった少女アミラ・ウィルハーフンも17歳になった。これは2019年の映像。相変わらず美しい声だ。

(Wikipedia参照)