★第164話:汽笛の曲 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

鉄道と私

日本は鉄道の利用が多い国として、世界でトップクラス

 「鉄道マニア」には「乗りテツ」「撮りテツ」「模型テツ」という種類があるようだ。ついでに、「吞みテツ」というテレビ番組もある。私はその仲間ではないが、最近、鉄道に関するブログがとても多いことに気がついた。

 それで、新たに「乗り物(車両・飛行機等)」というブログの書庫を追加した。 以前は主に、「故郷・旅」や、「趣味/雑学」のテーマだったが、26作を移動した。(図)

 ちなみにその内訳は、「鉄道・列車・汽車関係」が4作、「路線関係」が4作、「駅関係」が4作、「バス関係」が3作、「船関係」が3作、「自動車・バイク関係」が4作、「自転車関係」が4作である。「飛行機」のテーマは無かった。

 

 鉄道は、19世紀まで各国の主たる陸上交通機関であった。だが20世紀前半からモータリゼーションが進展、航空交通も発達したので、世界的に鉄道はその役割を縮小している。日本も同様だが、海外では「鉄道の役割」では旅客輸送より貨物輸送のほうが大きく、日本は、旅客輸送の役割が大きいのが特徴となっている。

 Wikipediaの「国の鉄道利用順リスト」を元に、次のようなグラフを作成したが、日本は旅客輸送で最も鉄道の利用が多い国となっている。鉄道は身近であり、ブログの題材として取り上げられ、鉄道に関する曲も数え切れないほどあるのもそのせいだろう。

 なお、上図の内の「輸送シェア」とは、地下鉄を除いた鉄道の、交通機関全体に占める輸送シェアを示す。

 

子どもの頃の思い出…蒸気機関車全盛時代

 小学校3年のとき、庭の目の前に線路が走っているところへ引っ越したことがある。駅も近かったので、朝の6時頃だったと思うが、始発の汽笛の凄い音で、毎日目が覚める。まだ蒸気機関車(写真)全盛の時代である。ところが、その音に慣れて、目覚ましの役割を果たすようになるのは早かった。

 もはや、幼い頃の記憶はどんどん薄れていくばかりだが、どういうわけか、祖母の背中に負われ、線路の踏切まで汽車を見に行っていたことだけは、はっきり覚えている。

 子どもは機関車が好きだ。今では蒸気機関車の汽笛は滅多に聞けないが、この動画の様に、手を振ると返ってくる電車の警笛のやり取りは、いつ見ても微笑ましいものである。

 蒸気機関車といえば、マニアであれば垂涎のはずだが、「音がウルサイ」、「空気が汚れる」、そして当時はタンクが無くて、時々「おしっこのしぶき」まで浴びる。

 さらに汽車通学のとき、窓を開けていてトンネルに入ると、顔が煤だらけになるということもあり、ほとんどいい思い出は残っていない。

 

汽笛の曲

汽笛と空気笛

 鉄道車両では蒸気で吹鳴するものを汽笛、圧縮空気で吹鳴するものは空気笛(または空笛)と称する。蒸気機関車の魅力のひとつが、あの「ポーッ!」という汽笛である。電車の場合は、「ファーン」という余韻を持つ音を発するものが主流だ。しかし、近年は環境(騒音)問題に配慮し、スピーカーから電気的に増幅させる電子音を採用したり、音楽を使用するものもある。そのうち、電子音の警笛を「電子警笛」(電笛、電気笛、電子警報など)」、音楽を鳴らすものを「ミュージックホーン」(音楽笛)という。そして、いろんなシチュエーションでその鳴り方が違うようだ。

アリス/遠くで汽笛を聞きながら(1976年)
 
アリスの転機となった名曲「遠くで汽笛を聞きながら」は、てっきり作詞した谷村新司の故郷・大阪のことを歌っているのかと思っていたが、どうやらそれは違うようだ。 
 レコードジャケットにある、1時間に1往復ほどしか列車が通らない、秋田県横手市のJR横手駅から上り線で二駅の無人駅。8分ほどで着く、旅先で出会ったJR奥羽線・
醍醐駅がモチーフだったそうだ。(写真)
 

オレンジ・ブロッサム・スペシャル

 「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」(Orange Blossom Special)はニューヨーク市を起点とする、アメリカ「シーボード・エア・ライン鉄道」(略称SAL)(1900年~1967年)が1925年から1953年まで、冬季のみ運行した全車重量級のプルマン型寝台車であり、高級急行列車の名称。1939年にフロリダ州マイアミまで延長された。(なお、ニューヨークは地図外の北、マイアミはフロリダ半島の最南端)

 同社は、その後合併を繰り返し、現在は「CSXトランスポーテーション」(略称CSXT)という会社になっている。この列車を歌った曲「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」(夢のオレンジ号)の大ヒットにより、この列車名は不滅のものとなった。 
 作者で曲を演奏した
アーヴィン・ラウズとその音楽仲間はある夜、時間は明け方の3時だというのに、うわさの列車がどんなものか、フロリダのジャクソンヴィル駅(画像左)まで見に行った。それは全く見たことも無い豪華なものだった。(画像右)そして、「この列車の曲を作ろう」という事になり、一時間も経たずに、この曲が生まれたという。1938年のことだった。

 この曲は、フィドル・チューンの定番の曲で、フィドルプレーヤーの間ではナショナル・アンセム(国歌)として扱われているほどだ。 41歳という若さでこの世を去った
スコッティ・ストーンマンの演奏が最も有名である。

もう1曲。この人のハーモニカのテクニックは凄いとしか言いようがない。

バディ・グリーン/オレンジ・ブロッサム・スペシャル

 

汽笛の音

 日本では「ポーッ」とか「ポッポー」と擬音語を使うが、アメリカでは「チューチュー」と発音している。

「チューチュー」
 世界傑作絵本シリーズの一つ
「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」(バージニア・リー・バートン文・絵 /村岡花子訳、福音館書店、写真)というのに「ちゅう ちゅう」とあるし、こんな歌もある。

グレンミラー楽団/チャタヌガチューチュー(1941年) 

 「チャタヌガチューチュー」(Chattanooga Choo Choo)は、1941年にグレン・ミラーが率いるビッグ・バンドが発表した曲。このバンドが主演した、同年封切りの映画、『銀嶺セレナーデ』の主題歌として作られる。

 同曲は、ジャズ、ビッグ・バンドのスタンダードナンバーの一つとして、彼の死後も長く愛されることとなった。
 曲名になっている「チャタヌガチューチュー」とは、
シンシナティ市が初めて建設した公共鉄道であるシンシナティ・サザン鉄道が1880年に運行を開始した、シンシナティ発チャタヌーガ行きの旅客列車の愛称である。(写真)

 そして、「チュー・チュー」とは、赤ちゃん言葉で「汽車ぽっぽ」といった意味である。歌詞中では「ペンシルベニア駅の29番線」から「4時15分前(3時45分)頃に発車」ということになっているが、ペンシルバニア駅には21番線までしかなく、全体としては架空の列車ということになる。

 

ニール・セダカ/恋の片道切符(1959年)【音符チューチュー トレイン…】

 「恋の片道切符」(One Way Ticket (To The Blues))は、ニール・セダカが1959年に発表した楽曲。アメリカでは『おお!キャロル』のB面としての発売のためヒットしなかったが、日本のみA面とB面を入れ替えて発売され大ヒットした。セダカ歌唱曲としては珍しい他作曲家による作品。
 歌詞中に
「Bye Bye Love」(エヴァリー・ブラザーズ)「Lonely Teardrops」(ジャッキー・ウィルソン)「Lonesome Town」(リッキー・ネルソン)「ハートブレイク・ホテル」「フール・サッチ・アズ・アイ」(エルヴィス・プレスリー)など、当時の流行曲の題名を織り込んでいる。
 発売当時、日本ではカバーポップス全盛の時代、平尾昌晃、山下敬二郎、雪村いづみ&ミッキー・カーチス、かまやつひろしが、カバーしている。また、
イラプションがディスコ・アレンジして、1979年 全英9位にランクインしている。 

「ポーッ」、「ポッポ」洋楽でも「汽車ポッポ」という題名がついている曲があるが、これは邦訳したからである。

アルマ・コーガン/恋の汽車ポッポ(The Train of Love)(1960年)

童謡・汽車ぽっぽ(1940年)

 「音符汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ 兵隊さん 兵隊さん をのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ 僕らも 手に手に 日の丸の 旗を 振り振り 送りましょう 万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳…音符という「兵隊さんの汽車」は、1937年(昭和12年)に富原薫が作詞し、1939年(昭和14年)発行の舞踊童謡集」「お花の兵隊さん」に収められた。草川信が曲を付け、レコードが出たのは翌1940年である。読売新聞文化部「唱歌・童謡ものがたり」には「御殿場には陸軍の演習場があった上、戦争が激化したため、御殿場駅のホームでは、連日出征する兵士を万歳三唱で送り出す光景が見られた。(富原薫は)そんな日常風景を素直に詞にしたようだ」と彼の妻の述懐を紹介している。

また、同書によれば、「夕焼け小焼け」などの作者として知られる草川信は、シューベルトの「軍隊行進曲」を下敷きにして、この曲を書いたという。結果的にこの曲のリズムは御殿場駅経由のルート(現在の御殿場線)の急こう配を元気よく登っていく蒸気機関車のドラフトを巧く表現しているように聞こえる。

 戦後、連合軍総司令部(GHQ)は軍国主義の一掃を目指した。そういう時代に、この歌は歌われなくなるはずだった。だがここで、鉄道の魅力と明るい曲調がこの歌を救った。戦前に歌った少女歌手の川田正子が歌ったこの歌のレコードが好評だったため、終戦直後の1945年末、NHKラジオの「紅白音楽試合」(後の紅白歌合戦)に彼女が出場する予定になったが、急きょ書き換えられて出来上がった歌詞を歌った川田の声が電波に乗った」
 
音符汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ 僕らをのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ スピード スピード 窓の外 畑も とぶとぶ 家も とぶ 走れ 走れ 走れ 鉄橋だ 鉄橋だ 楽しいな…音符

 

 こんな曲も

三橋美智也/夕焼けとんび(1958年)【上りの汽車がピーポッポ

 

 続く。(日本鉄道歌謡史/みすず書房、Wikipedia参照)