前回、歌手のイルカを紹介したが、かねてから彼女は顔から背格好まではしだのりひこに似ていると思っていた。左がはしだのりひこ、右がイルカですが、どうですか。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/04/wyxc-2k/95/00/j/o0307018314655370229.jpg?caw=800)
今回は、そのはしだのりひこの特集。例によって主な経歴とグループのメンバーを。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/04/wyxc-2k/e2/a6/j/o0264019114655370231.jpg?caw=800)
ザ・フォーク・クルセダーズ
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はしだのりひこと
シューベルツ
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はしだのりひこと
クライマックス
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はしだのりひこと
エンドレス
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1967-1968 (はしだ在籍期間)
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1968-1970
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1971-1972
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1972-1973
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はしだのりひこ
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はしだのりひこ
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はしだのりひこ
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はしだのりひこ
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加藤和彦
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井上博
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中嶋陽二
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和泉常寛
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北山修
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杉田二郎
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坂庭省悟
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北村謙
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越智友嗣
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藤沢ミエ
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林竹洋子
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それぞれのグループでの彼の歌を聴いてみよう。
ザ・フォーク・クルセダーズ
彼らがプロデビューに当たって誰を加えるか、加藤和彦と北山修の意見は違っていたようだ。
北山は後にジローズで「戦争を知らない子供たち」を歌った、声が良くスター性のある杉田二郎を推薦したが、加藤ははしだのりひこの加入を主張し、かくして、この背が不釣り合いなトリオが誕生した。
イムジン河/悲しくてやりきれない(1968年)
水虫の唄/青年は荒野をめざす(1968年)
はしだのりひことシューベルツ
風/さすらい人の子守唄(1969年)
はしだのりひことクライマックス
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/04/wyxc-2k/c0/16/j/o0256019214655370234.jpg?caw=800)
花嫁(1971年)
はしだのりひことエンドレス
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/04/wyxc-2k/37/33/j/o0260026014655370237.jpg?caw=800)
「嫁ぐ日」は、「凡児の娘をよろしく」という番組のテーマ・ソング。
リードヴォーカルの林竹洋子は、広島県廿日市市“地御前”出身。
エンドレス解散後、当時の人気番組RCC中国放送「柏村武昭のサテライトNo.1」のアシスタントを務め、『木へんにホワイト、柏村武昭です』とか、『三次が生んだスパー・スター』と広島県人しかわからないキャッチフレーズだが、参議院議員にもなったその柏村氏と結婚した。
嫁ぐ日/明日の色は(1972年)
はしだのりひこはその後、妻の介護に専念する「主夫」になったが、現在でもソロ活動も行っているようである。