https://news.yahoo.co.jp/pickup/6488390 


きょうにも、というか能登半島地震が発生して2週間後である。

米軍は支援開始

救援ではなくて、“支援”段階。

>東日本大震災の時は『トモダチ作戦』が展開されました。

スゴイぞ在日米軍、米軍!

だった記憶があります。
すぐに米軍は動いてくれた。動いた。

私は、とある企業の広報担当でした。
被災地の各支社、社員ならびに周辺の情報収集、日頃付き合いのあるNHK担当者、テレビ局、各新聞社との情報交換をしてました。日頃は経済、金融市場に関する問い合わせを受けたりしてます。
テレビ局からの依頼で社員をコメンテーターとして出演する調整とかもありました。

震災時は・・・・
例えば、社員の安否、被災状況の情報収集とマスコミへの情報提供。一方でのマスコミからの情報収集。
今日ほどに個々にSNS網が発展してませんでしたから、マスコミは重要な情報源でした。

金曜日に東日本大震災は発生しましたが、それから日曜日の午前まで会社に詰めてあらゆるところからの情報収集、情報提供に奔走していました。

米軍のことは、日曜日くらいに聞きました。

米軍のおかげで、仙台空港が1週間たたずに復旧できたことを覚えてます。

⇒⇒⇒  東日本大震災の時、米軍は救援からだったのです。

能登半島地震では、支援から。



1月4日のこと、記者会見で「受け入れられる体制ができてない。」

でしたね。

受け入れ体制って>>>
自衛隊は、逐次投入となりました。
地理的特性、道がとにかく寸断されている。
という理由でしたが。

まあ正月でしたから。年間で最も帰省されている方々が多い時期でしたね。
帰省した自衛隊員少なくはなかったでしょう。
みんながそうだったかと。

だから、逐次投入になったのではないでしょうか?


初動は、支援ではなくて救援です。“受け入れ体制”は、救援段階では関係ないです。

道路が寸断されている。

自衛隊には、ヘリコプターが何機あるのでしょう?
各地の消防は?
2日に痛ましい事故が羽田空港で発生してしまったこともありました。


初動が逐次投入になってしまったこと、どうだったのかなぁ?

救援においては
「行ける人は、とにかく行け!
  どこまで行けそうかは・・・・、情報が完全にわかってなくても、要救助者がいます。
行って現地判断すればいい。」

であります。

そもそも自衛隊員が少ない>>>
石川県は、自衛隊第10師団担当エリア
司令本部は名古屋です。金沢市に普通科連隊が。
ここは1,000人規模でしょう。
富山県の駐屯地、総員は100~150人かな?

陸上自衛隊は約14万人います。
実家の近くに駐屯地があります。そこも約1,000人くらいでした。
奈良県以外に駐屯地はありますが、都道府県によって隊員数が大きく違います。
石川県、富山県は、駐屯地が1つだけの少ない部類になります。お隣の福井県も1つ。
長野県、岐阜県も1つ。それも南部。

北海道は、広大であり北方領土、北朝鮮などとの対峙もあるから?駐屯地は10以上あります。
北海道だけで『方面』ですからね。

阪神大震災のとき>>
高架の駅が倒れた阪急伊丹駅、そのそばには中部方面隊の拠点があります。
中部方面隊とは、東海、北陸から中国、四国までという広範囲の部隊。

熊本地震のとき>>
熊本県には駐屯地が3つ。
となりの福岡県には駐屯地が6~7?
それに熊本地震の時は、道路ありましまから。

先ず1,000人でしたね。
被災地の広さ、点々と集落があること、市町村の点在、それらを考えると、広さを考えると、1,000人って、ひとつの地区に何人ずつなの?でした。


今回
広島県の呉から輸送船団がかけつけてくれました。
それは大いに評価です!

とにかく道路です。

2週間経ちました。