Maurizio Pollini-F. Chopin:Ballad No.1 ,Op.23 | 田舎暮らしのブログ

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クラシック音楽鑑賞(ピアノ曲)を学習中です。

 
フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名: フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Chopin, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。
 
生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。
 
また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
ショパン:バラード 第1番 ト短調 Op.23
 
♪ドラマチックな叙情性をもったピアノ曲のバラード
 
バラードとは中世の吟遊詩人が竪琴を手に弾き語っていた、物語性のある叙情的な歌が元来の意味です。
 
現代でもスローでドラマチックな歌をバラードとよく呼びますが、テンポが遅めという点を除けば、大筋は同じ意味だと言えます。
 
ショパンはこのバラードを初めて、ピアノ曲として確立させました。4曲あるバラードは、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチの詩にインスパイアされて作曲されたと言われています。
 
「バラード第1番」は作曲家としてのショパンにとってはごく初期の作品で、4曲中でも特に高い人気を集めています。陰鬱なト短調の第1主題に続いて登場する変ホ長調の第2主題(2:50)は、いかにもショパンらしい叙情性に満ちた美しい旋律が印象的です。
 
シューマンも「大変優れた作品」と愛したこの曲は、シュトックハウゼン男爵に献呈されました。
(クラシック名曲サウンドライブラリーから転載)
 
 
マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942年1月5日 - )は、イタリアのミラノ出身のピアニスト。
 
父親は建築家ジノ・ポリーニ(イタリア語版)であり、また母親(彫刻家ファウスト・メロッティの妹)は声楽もこなすピアニストである。5歳からカルロ・ロナーティに、ロナーティの死後はカルロ・ヴィドゥッソ(イタリア語版)にピアノを学ぶ。現役では最も高い評価を受けているピアニストのうちのひとりである。
 
1957年、15歳でジュネーブ国際コンクール第2位(マルタ・アルゲリッチは女性部門で1位)。1958年の同コンクールで1位なしの第2位。1959年のポッツォーリ・コンクールで優勝。
 
1960年、18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝。審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べ、一躍国際的な名声を勝ち取る。
 
その後10年近く、表だった演奏活動から遠ざかる(本人はこれを否定していて、様々なコンサート、リサイタルに出演した)。その理由として、健康面や腕の故障など諸説あるが、まだ若く、さらに勉強が必要であることをポリーニ自身が自覚しており、直ちに多忙な演奏生活に入ることを避けたというのが有力である。この間、ミラノ大学で物理学を学んだり、イタリアの名ピアニストアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事するなど、研鑽を重ねている。
 
1968年に演奏活動に復帰し、1971年よりドイツ・グラモフォンから録音作品を発売開始。以後、ヒット作を連発する。1974年、初来日。
 
1995年、ザルツブルク音楽祭で自身の企画による連続演奏会「ポリーニ・プロジェクト」を開始。
 
2002年、10月と11月に東京でも同プロジェクトとして9夜にわたる連続演奏会を開き、大きな注目を集めた。2005年、11月に同プロジェクト、東京での第2弾。ただし3夜のみで小規模。ポリーニ本人の演奏は1夜のみ。
 
特徴
 
16世紀から現代まで時代を問わないが、選曲自体は自らの眼鏡に適ったものしか取り上げない。 ポリーニが録音を残している代表的な作曲家としては、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン、ストラヴィンスキーなどがある。またブーレーズやウェーベルンといった現代音楽にも積極的に取り組んでいる。独奏曲と協奏曲の録音が中心で、室内楽曲は現在のところ、ブラームスのピアノ五重奏曲のみ。2000年に入ってからモーツァルトのみだが、弾き振りの録音も行っている。ベートーヴェンについては、39年をかけて全ピアノ・ソナタの録音が完了した。
 
そのピアニズムの最大の特徴は、方々から「完璧である」との賛辞を贈られる卓抜な超絶技巧であり、演出困難とされる細かなパッセージを難なく奏出し、感情や主観といったものに溺れない格調高い演奏設計により曲想を正確無比に表現する点において他の追随を許さない。その透徹した演奏姿勢には、しばしば「機械的である」「冷たいピアニズム」との批判が加えられることもあった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』