田舎暮らしのブログ

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クラシック音楽鑑賞(ピアノ曲)を学習中です。


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今年で第9回を迎えることになりました燈火会のポスターデザインが出来上がりました。
8月14日(火)19時~21時、脇坂屋敷南広場をメーン会場に武家屋敷通りに約1000基の燈火を展開します。

燈火に映える白壁のまちなみを楽しみにお越し下さいませ。

場所 : 〒679-4170 兵庫県たつの市龍野町中霞城 (旧龍野藩主脇坂屋敷南広場)

 


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大山 百合香(おおやま ゆりか、1984年5月20日 - )は、日本女性歌手鹿児島県奄美群島沖永良部島出身。

神村学園高等部音楽科、専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美ヴォーカル学科卒業。2005年ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズより1stシングル「海の青 空の青」でデビュー。

現在は広島県三次市在住。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

関口 知宏(せきぐち ともひろ、1972年7月1日 - )は日本俳優タレントである。本名は関口 智宏(読み同じ)。血液型はA型。身長183cm。東京都出身。三桂(旧・関口宏事務所)所属。

父は司会者で俳優・タレントの関口宏、母は元歌手西田佐知子で関口家の一人息子。父方の祖父はかつての映画スターである佐野周二

 

小学校から父と同じく、立教学院で学ぶ。立教小学校立教中学校(現・立教池袋中学校)、立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部経営学科卒業。米国ユタ州に1年間留学した経験を持つ。趣味は鉄道旅行、車、楽器いじり、作曲、縄文研究など。愛称は「せっきー」。幼い頃に両親と旭化成のCMに登場した記録がある。 東京出身だが、母が大阪出身のため時折言葉が上方言葉っぽくなることがある。

大学卒業後の1996年、父が代表を務める三桂に入り、ドラマ『MMR未確認飛行物体』でデビュー。さらに同年、映画『あぶない刑事リターンズ』でスクリーンデビューを果たす。その後数々のドラマ・バラエティーに出演したが、28歳から31歳まで伊豆でひきこもっていた。2004年にはNHKBSの15周年企画『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』で42日かけて北海道稚内駅から佐賀県肥前山口駅までJRのみの路線で同じ駅を2度通らずに達成した。

また2005年春、NHKで放送のスペシャルドラマ『望郷』にてデビュー10年目で初のドラマ主演を果たしたほか、上記『列島縦断 鉄道12000kmの旅』の続編として、残りの未乗車区間のJR線を乗りつくすため『列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜』に出演し、北海道の根室駅にてJR全線走破を達成した。(同番組は3月21日5月14日の春編と9月26日11月3日の秋編に分けて放送された)。

さらに海外の鉄道旅行にも造詣が深く、アメリカ留学の経験があって英語でのコミュニケーションもとれることから、NHKハイビジョン特集でのドイツ鉄道旅行記や、イギリス鉄道旅行記、中華人民共和国の鉄道網を一筆書き旅行する36000キロの鉄道横断生放送『関口知宏の中国鉄道大紀行 〜最長片道ルート36000kmをゆく〜』(2007年4月から)などもこなしているが、長期間の海外滞在および列車での旅の負担は大きく、9月2日から始まる同番組の後編を前にした8月27日、中国での旅が終了する11月18日時を最後に「乗りつくし」の旅から引退する(もう鉄道の旅はしない)ことを表明した。ただし、NHKスタジオパーク(2007年11月27日放送)に出演した際、「一度0(ゼロ)に戻すという意味での旅からの引退。ただ、また(どのような形になるかわからないが)皆さんとは旅でお会いしたい」とのコメントを残した。2015年、鉄道紀行番組『関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅』でオランダを皮切りにヨーロッパ各国をめぐることとなった。

鉄道車両の中では特にSLに思い入れがあり、番組内でC57D51DD51などの形式を自らの口から発言していたが、鉄道マニアではなく、鉄道に対する深い知識もないという。ちなみに最も好きなSLはC62。「列島縦断」シリーズの中で披露していたの演奏や作曲などにみられる音楽の実力と旅日記でみせたスケッチの実力は相当のものがある。特に音楽に関しては母が歌手であったためか、幼少期より英才教育を受けていたという。笛以外にピアノやギター、ドラムの演奏、更には打ち込みでの曲作り等も度々TVで披露している。その際は即興で曲を作ってみせるなどもしている。現在も本業の傍らバンド活動をしており、プロデュースから演奏・歌唱をすべて一人で行ったCDもリリースしている。車好きとあって乗用車にはうるさく、TV出演の際、車の話題になると司会者よりも喋ったこともあった。なお愛車は1960年代オースチン・ヒーレー(通称ビッグヒーリー)。

2004年夏から毎年静岡県伊東市大室山で私的ライブ「大室山ライブ」を行っている。2008年5月10日橋田賞を受賞。

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光あるもの

 

歌手:大山百合香

歌詞:岡本おさみ

作曲:松本俊明

光あるものを届けにゆこう
やわらかな頬の子供たちや
老いた人のそばに静かに座り
めぐる季節感じ
しなやかに輝いていたい

汚れた街のことば
使い慣れてた
拒むことさえ忘れていた
私の心はきれいだろうか

光あることば探しにゆこう
幾億の人の渦に巻かれ
ことばを失くしてる異国にいても
耳を傾けて
ひそやかに頷いていたい

光あるものを探しにゆこう
渡ってゆく風に身をまかせて
まだ見ぬ人と街、去りゆく記憶
愛おしみながら

軽やかな旅人でいたい
軽やかな旅人でいたい

 


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Made in Japan: can handcrafted glasses survive an automated world?

Leo Lewis in Sabae

福井県、特に鯖江市、には日本のメガネ生産の97%が集中している。しかし、多くの工場は老朽化し、高齢化した経営者には後継者がいない。鯖江市の工場は次々に閉鎖されている。ここは日本製造業の縮図である。サンダルから、半導体、造船でも、同じことが起きている。

日本は1980年代にチタン合金のメガネ・フレームを開発し、鯖江は「メイド・イン鯖江」のブランドを得た。しかし、国内製メガネは中国などからの安価な輸入品、そして、自動機械化のグローバルな趨勢と戦っている。

高齢化によってメガネ市場は拡大するだろう。グローバル企業は鯖江の会社を買収するために探している。彼らは日本企業の高度な技量をバーゲン価格で手に入れることができる。

鯖江の労働人口は2001年以来、11%減少して、3万人になった。同じ時期に、企業の20%が閉鎖された。商工会議所の会員は57%減少し、350社である。町中が倒産した企業だらけだ。

しかし、Kenzo Matsumuraの考えはまったく違う。彼はロボット、自動化、コールセンター、セレブ、セックス・アピールを駆使して、富豪となった。彼の会社、Hazuki、は世界の読書用メガネで指導的な地位にある。

2000年に入った頃、Matsumuraはソロモン・スミス・バーニーの投資銀行家であった。堀江貴文と同じように、彼は資本市場でイノベーションや敵対的買収を試みた。2007年、トミーとタカラのおもちゃ会社合併から生じた5つの会社を買収し、その1つが鯖江のメガネ会社であった。

当時のメガネは1万円もして、テレビショッピングで売れなかった、と彼は言う。しかし、読書用メガネの需要が大きいことを確信した。

私は鯖江を訪れ、15人のエンジニアとともに工場を観た、という。40年も使ったような機械。手でレンズを研磨する女性たち。すべてが手作業で、不良品の率は30%であった。工場を歩くと、不良品の山がドアまで積み重なっていた。

Matsumuraは、生産、組み立て、梱包を完全に自動化した。「ホヤ、ニコンなど、大手のレンズ・メーカーはコストを下げるために、中国やタイなど、海外に工場を移転した。工場を完全に自動化すれば、日本で工場を動かし、しかも中国より安いコストにできる。」

東京から自動車で約1時間、千葉県にあるHazuki工場では、複雑な振り付けでダンスをするロボットたちが、フレームやレンズを生産し、組み立て、検査し、1日に20000ケースを出荷している。工場長は、今月後半、新しい組み立て機械が入れば、このスピードを3倍にする、という。

鯖江にとって問題は、日本製造業の衰退する拠点の1つとして、Hazukiのような大胆な改革を実行するだろうか? ということだ。あるいは、モノ造りを愛し、1970年代の日本経済の「奇蹟」を忘れない倫理観でロボットの普及に対抗するのか?

日本には世界の指導的な工作機械メーカー6社のうちの4社が存在する。しかし、ロボットが職場を奪うとか、失業を生むという話は報道されないし、議論されていない。

人口変化と金融エンジニアが変化をもたらすかもしれない。自動化された工場を、高齢の経営者たちは見るべきだ。

( IPEの果樹園2018  今週のReview  4/9-14 より )

 

 

 

松村謙三 (実業家)

 

松村 謙三 (まつむら けんぞう 1958年12月11日 - )は日本の実業家。自身が設立したプリヴェ企業再生グループの代表取締役を務めている。また以下の委員及び客員教授も務めている。

経済同友会 金融市場委員会委員

・国立大阪大学大学院 法科研究科 客員教授

大阪大学 知的財産センター客員教授

 

略歴

 

1982年3月に成蹊大学法学部卒業後、元ソロモン・スミス・バーニー証券、リスクアービトラージ部門チーフトレーダーとして働く。

ジャーディン・フレミング証券株式会社、ソロモン・スミス・バーニー証券でリスクアービトラージ部門チーフトレーダーを経た後1997年8月13日にプリヴェチューリッヒ証券を設立し、それを核に現在のプリヴェグループを形成した。

2003年8月に、子会社としてプリヴェチューリッヒ企業再生グループ株式会社(現・プリヴェ企業再生グループ)を設立・上場後この会社を中心に投資事業を行っている。2011年度の役員報酬が4億3200万円であることが公表された。

日産自動車から三河日産自動車 静岡日産自動車を買収。富士通から東証二部の神田通信工業を買収。東武鉄道から東武運輸2社を買収。SBIからエース証券を実質買収。タカラトミーからジャスダック上場企業を含む5社を買収。現在の企業グループを形成していった。

東証一部のキッツ(旧北澤バルブ)の創業家から美術館を買取り、松村謙三美術館として保有。絹谷幸二、奥谷博、藤田嗣治の一大コレクターとして知られる。昭和会展の審査委員、新人登竜門の「松村謙三賞」を創設。

松村謙三コレクションを上野の森美術館東京芸術大学美術館、北海道立近代美術館茨城県近代美術館宇都宮美術館奈良県立美術館高知県立美術館福岡市美術館笠間日動美術館などの美術館に貸与、またセキスイハウスの絹谷幸二 天空美術館(梅田スカイビル27階)に貸与している松村謙三コレクションのブースが常設されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

Leo Lewis のプロフィール

 

https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/697-profile-leo-lewis/697-profile-leo-lewis.html&prev=search

 

 

 

 

 


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関税より産業開発計画

FT April 1, 2018

Columbus shows Trump how to thrive in the new world order

RANA FOROOHAR

アメリカは貿易赤字を嫌うが、中国はもっと長期的なゲームをしている。未来の戦略的なハイテク産業を育てる産業政策だ。

それが優れた戦略であることは、アメリカで成功しているオハイオ州・コロンバスを観ればわかる。コロンバスはラスト・ベルトの中心にある、トランプを支持した地域だが、人々は大統領の関税引き上げに関心がない。JPモルガンも、ホンダも、Nationwideも、ここでは最大の雇用先だが、職場を減らすアルゴリズムの開発に邁進している、と地域の経済開発戦略Columbus 2020を推進するトップは言う。

民主党員の市長が、この40年間で初めて、共和党を訪ねて、増税への支持を頼んだ。彼らはその資金を、知的財産・データ・アイデアの価値を高める時代に応じた人的資本形成に使う、と合意したのだ。教育機関を促し、若い知識労働者が住むような住宅も建てた。今では、若者が雇用される都市のトップ10に入る。

コロンバスの成功は、アメリカでも産業政策が有効であることを示している。中国だけでなく、ヨーロッパの諸都市など、多くの国で多年度の経済開発計画が立てられている。しかし、アメリカにはない。産業政策という言葉が軽蔑されている。

トランプは、中国の国家資本主義を非難するより、その優れた面をコピーする方がよいだろう。

( IPEの果樹園2018  今週のReview  4/9-14 より )

 

コロンバス (オハイオ州)

 

コロンバス: Columbus)は、アメリカ合衆国オハイオ州中央部に位置する都市。同州の州都として、政治行政の中心地であるとともに、一帯の商工業の中心地でもある。また、オハイオ州立大学を抱える学術都市でもある。人口は787,033人(2010年国勢調査)で同州最大、全米でも第15位である。コロンバスに郡庁を置くフランクリン郡を中心に、10の郡にまたがる都市圏の人口は1,901,974人。これにマリオンゼインズビルチリコシー等、周辺の7つの小都市圏を加えた広域都市圏の人口は2,308,509人(いずれも2010年国勢調査)におよぶ。

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Rana Foroohar (1970年生まれ)は、グローバルタイムズ紙のコラムニストであり、 Financial Timesの関連編集者です。 彼女はCNNの世界経済アナリストも務めている。

 

Forooharはインディアナポリスで生まれ、インディアナ州フランクフォールで育ちました。 彼女の父親Aygen Erol Dogarは、トルコの移民であり、中西部で小さな製造業を始めたエンジニアです。 彼女の母親アンは学校の教師であり、スウェーデンとイングランドからの移民の娘であった。 フォルハールは、1992年にコロンビア大学の バーナード大学を卒業し、 英文学の 学士号を取得した。 ファイナンシャル・タイムズとCNNに入社する前は、 編集長 、経済コラムニストとして、 Time Magazineで6年間働いていました。 彼女は以前、 ニューズウィークで経済と外交の編集者として、そしてヨーロッパ中東をカバーするロンドンベースの特派員として13年間過ごした。 その間、彼女は大西洋横断報告のためにドイツのマーシャルファンドのPeter Weitz賞を受賞​​しました。彼女は、 Johns Hopkins大学Paul H. Nitze先進国際研究学校East-West Centerなどの機関から奨学金や奨学金を受けています。彼女は外交評議会の生命のメンバーです。

彼女の著書「 Makers and Takers:アメリカンビジネスの台頭と崩壊」は 、2016年のフィナンシャルタイムズとマッキンゼービジネスブックオブザイヤー賞に選ばれました。彼女の作品はNew York Review of Booksに掲載されている

 

Forooharは夫のジョン・セジウィックと彼女の2人の子供、娘Daryaと息子Alexとブルックリンに住んでいます。彼女の元夫Kambiz Forooharはイランの英国のブルームバーグジャーナリストです。

 

 作品

 

Rana Foroohar(2016年5月17日)。  メーカーとテイカー:財政の台頭とアメリカのビジネスの崩壊  クラウン出版グループ。  ISBN 978-0-553-44723-1

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トランプ・ブームの終わり

NYT MARCH 23, 2018

The Trump Boom Is Making It Harder to See the Next Recession

By ROBERT J. SHILLER

トランプ・ブームがいつ終わるのか、エコノミストは予測できない。特に、トランプは大衆心理に影響を与え、自分の言ったことに合わせてデータを変えてしまう。

景気変動も、地球温暖化も、彼の直感に合わない。トランプはそれを否定し、説明しない。「ガッツで行け!」と、彼は2007年の本で書いた。「ビジネスでも人生でも、大きく考えろ。相手のケツを蹴とばすのだ。」

経済は永遠に拡大する、と前提している。平均すれば、5年に1度は不況になった、という事実を忘れさせる。しかし、1854年以来、アメリカには33回の景気後退があった。すでに前の景気後退から102か月が経っている。

貿易戦争を始めることで不況になるのか、もっと普通に、不況が起きて、アニマル・スピリッツと大衆心理は間接的な要因にとどまるのか、わからない。エコノミストは何が起きるか知らないが、安心しなさい。次の不況は必ず来る。

(IPEの果樹園2018  今週のReview  4/2-7 より)

 

 

ロバート・シラーRobert James Shiller1946年3月29日 - )は、デトロイト出身のアメリカ合衆国経済学者

イェール大学教授。専攻は金融経済学、行動経済学。著書「根拠なき熱狂」 (Irrational Exuberance') で知られる。2013年にノーベル経済学賞を受賞。

ITバブルの崩壊やサブプライム危機へ警鐘を鳴らしたことで知られる。

 

略歴

 

 

 

 


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フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名: フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Chopin, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。

生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。

また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

ショパン:ワルツ 第7番 嬰ハ短調 Op.64-2

 

♪子犬のワルツと共に人気の高いワルツ

死が近づいたショパン晩年の作品です。3つのワルツOp.64はショパン生前の最後に出版されましたが、第6番「子犬のワルツ」と第7番はいずれもこの作品に含まれます。

比較的難易度も低く、これを目当てにピアノを始める人も多くいます。ですがシンプルながら曲の持つ精神的な色合いは深く、さり気ない哀愁はショパンが最後に至った境地を感じさせます。

サンドとの別れや病などの辛さも、音楽の中に純化されていくかのようです。

左手はワルツを刻みながら、右手はマズルカを奏でているのが特徴で、その主題をはじめ全体にスラヴ的なムードが漂っています。

 

ショパンのワルツは舞踏的なものと、内面を表したものに大別されます。第7番は明らかに後者の部類といえます。

「もしワルツに合わせて踊るのであればその相手は貴婦人でなければならない。」とシューマンはショパンのワルツを評しました。

ショパン自身も当時流行の華やかなだけのウィンナーワルツは肌にあわず、なぜあのような舞曲がもてはやされるのだろうと手紙に書いています。

本来は踊るための音楽に過ぎなかったワルツを、自らの内面を表現する芸術に高めたのはやはりショパンでした。

(クラシック名曲サウンドライブラリーから転載)

 

 

仲道 郁代(なかみち いくよ、1963年2月13日 - )は日本のピアニスト。ピアニストの仲道祐子は実妹

 

仙台市生まれ、浜松市育ち。4歳からピアノを始め、浜松市立白脇小学校5年生のとき第27回全日本学生音楽コンクール東日本第3位入賞。浜松市立南部中学校在学中、父親の仕事の関係でアメリカ合衆国に渡り、ホロヴィッツ生演奏に接して大きな感銘を受ける。帰国後、桐朋女子高等学校音楽科を経て桐朋学園大学ピアノ科に進み、中島和彦に師事。高校3年時の1981年、第50回日本音楽コンクール(「毎コン」)ピアノ部門第3位入賞、翌1982年、大学1年在学時の第51回同コンクールにてピアノ部門優勝、及び増沢賞受賞。

1985年に桐朋学園大学を中退。同年から1987年まで文化庁在外研修員としてミュンヘン音楽大学に留学し、クラウス・シルデに師事。この間、1986年、第42回ジュネーヴ国際音楽コンクール第3位(最高位)受賞。1987年メンデルスゾーン・コンクール第1位入賞、メンデルスゾーン賞受賞、エリザベート王妃国際音楽コンクール第5位入賞。1988年村松賞受賞。1993年、第23回モービル音楽賞奨励賞受賞。

1990年ミュンヘンからロンドンへ活動拠点を移す。1993年8月結婚1996年11月には長女を出産。1999年カーネギーホールにデビュー。

シューマンを取り上げることが多かったが、次第にショパンも弾くようになり、1990年代後半から、子供のための話を織り交ぜたコンサート、レクチャーコンサートなど、クラシックを親しみやすくする企画を次々と立てている。近年はベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音のCDをリリースし、コンサートでもソナタ協奏曲を全曲演奏するなど、ベートーヴェンにも精力的に取り組んでいる。

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NHKBS1で「ペリーの道:元米国防長官の警告」を観ました。

「クリントン政権下で米国防長官を勤めたウィリアム・ペリー(90歳)。氏は世界史の「危機の瀬戸際」を歩んできた。新兵として沖縄派遣、キューバ危機の際にはCIAの分析チームで働いた。」

キューバ・ミサイル危機のとき、フルシチョフはアメリカの軍事力に対してソ連が劣勢であることを知っていた。キューバに格を持ち込むことで、それを回復したかったのだ、とペリーは回顧します。その後、アメリカが、核による恐怖の均衡状態を認めます。ソ連がアメリカの核に追いつき、核軍拡競争はますます激しくなった、と。

ペリーは、軍備拡大が答えではない、と示したかったように思います。それは数人の学生たちとゼミを行う映像からも感じました。軍備の拡大は、そうして始まるのだよ、とペリーはアメリカの軍備に関する不満を述べた学生に、婉曲な拒否を示します。

ペリーが恐れたのは、核兵器が実際に使用される兵器である、ということでした。国防次官として、彼は国民の誰よりも、核戦争を恐れていたのです。しかも、核戦争は指導者の決断によって起きるのではない。むしろ、その始まりは人為的なミスだ、と彼は知りました。実際に、ソ連の核ミサイルがアメリカに向けて飛来してくる警報が鳴り響いたことがありました。兵士たちとともに、彼は凍り付きます。

もし発射ボタンを押す権限のある3人の兵士が合意していたら、アメリカの核ミサイルは発射されていたはずです。しかし、1人の兵士は反対しました。結局、それは間違いだったのです。訓練のための情報を間違って流してしまった、とわかりました。

それでもペリーは大きな不安を拭い去ることができず、家族に電話をした、と言います。アメリカやソ連の核兵器は、いつ発射されてもおかしくないのだ、と確信していたからです。もう会えないかもしれない。家族の声を聴きたかった、とペリーは告白しました。

クリントン政権で国防長官となったペリーは、核兵器の抑止力に依存する安全保障を転換しようとします。そのためには、新技術によって軍事的な優位を確保することでした。巡航ミサイルや精密兵器を開発して、核廃絶への道を拓こうとします。

まったく予想外にも、ソ連が崩壊し、冷戦が平和的に終結した後、ロシアと核軍縮に合意したことはペリーを喜ばせたはずです。ウクライナの核廃棄に関して、アメリカが協力することを映像は示します。核廃絶は可能だ、という歴史を示すために。

4賢人(George P. Shultz, William J. Perry, Henry A. Kissinger, Sam Nunn)による提言“A World Free of Nuclear Weapons”が、20071月、WSJに載りました。高い関心を呼んだのは、民主・共和両党の安全保障専門家が一致して、核兵器廃絶を求めたからです。

アメリカは、ロシアとともに、核兵器の小型化や使用できる条件を具体的に再検討しているようです。それは同時に、精密兵器やAIに依存した戦争の無人化、抑止力という概念の崩壊をもたらす現実と合わせて、戦争や国際秩序の再考を緊急に求めています。

ペリーは高校時代のガールフレンドと結婚しました。妻はすでに亡くなり、彼女がいない家で彼がピアノを弾くと、軽快なポップアップの曲であることに驚きました。核戦争の最前線に立つ大統領顧問を支えたのは、妻や家族が体現する平和の尊さであったのです。

これから、新しい安全保障の考え方が、核廃絶と一緒に進むはずです。戦争の目的は秩序です。しかし秩序の基礎にあるのは軍事力ではなく、恐怖の均衡から始まる、その管理と、治安や経済システムの合意に向かう交渉です。

(IPEの想像力 3/5/18 より)

 


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フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名: フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Chopin, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。

生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。

また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

FREDERIC CHOPIN

01 Prelude in D-flat Major Op. 28 No. 15 “Raindrop” 00:00
02 Prelude in A Major Op. 28 No. 7 05:37
03 Nocturne in D Flat Major, Op. 27 No. 2 06:33
04 Nocturne in B Major, Op. 32 No. 1 12:19
05 Nocturnes, Op. 9: No. 2 in E-Flat Major, Andante 17:36
06 Berceuse in D-Flat Major, Op. 57 23:05
07 Andante spianato in G Major, Op. 22 28:43
08 Douze études, Op. 25: No. 1 in A-Flat Major "Aeolian Harp" 34:15
09 Barcarolle in F Sharp Major, Op. 60 36:46
10 Etudes, Op. 10: No. 5 in G flat Major, “Black Key” 45:42
11 Fantaisie-impromptu in C-Sharp Minor, Op. 66 47:40
12 Mazurka Op. 7 No. 1 51:48
13 Mazurka Op. 33 No. 4 54:20
14 Mazurkas, Op. 68: No. 4 in F Minor, Andantino 59:12
15 Piano Sonata No. 2 in B-Flat Minor, Op. 35
I. Grave. Doppio movimento 1:01:02
II. Scherzo 1:09:08
III. Marche funèbre. Lento 1:17:18
IV. Finale. Presto. Sotto voce e legato 1:27:54
16 Polonaise-fantaisie in A-Flat Major, Op. 61 1:28:25
17 Grande polonaise brillante in E-Flat Major, Op. 22 1:42:29

 

 

Piano :
Noah Johnson (tracks 1-4, 9 & 10)
Giovanni Umberto Battel (tracks 5-8, 12-17)
Carlo Balzaretti (track 11)

 

 

 


テーマ:

フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名: フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Chopin, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。

生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。

また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

ショパン :  ワルツ9番 変イ長調 「告別」

 

ワルツ第9番変イ長調作品69-1は、フレデリック・ショパン1835年に滞在先のドレスデンを去る際に作曲したワルツ。生前には出版されず、1853年ユリアン・フォンタナによりショパンの原稿に手を加えて出版された。悲恋に終わったマリア・ヴォジンスカ英語版との「別れのワルツ」(Valse de l'Adieu、the Farewell Waltz)として有名である。

 

曲の構成

 

レントロンド形式半音階下降進行による旋律が主題で、ヘ短調風に始まって8小節目で変イ長調となる。途中マズルカ風のリズムや三度の和声による部分もあり、舞踊性も見受けられる。パデレフスキ編のショパン全集第9巻や、ナショナル・エディションの第27巻(B III)、ヘンレ社の原典版には、ショパンの原稿版とフォンタナ版の両方が収録されており、両楽譜を比較すると明らかな異同が見られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

山下しおり (Shiori Yamashita)

 

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部を経て、桐朋学園大学院大学修士課程終了。
第23回 ピティナピアノコンペティションC級全国大会 奨励賞。
第55回 全日本学生音楽コンクール大阪大会 第1位、全国大会 入選。
第11回 日本クラシック音楽コンクール全国大会 入選。
2007、08年 学内選抜により「ピアノ専攻 Student’s Concert」出演。
大学院在学中、学内オーディションにより 桐朋オーケストラアカデミー演奏会「協奏曲のひととき」にソリストとして出演。
2012、15年 広島交響楽団メンバーらと共に、広島にて室内楽コンサートを開催。
後進の指導にあたる傍ら、都内中心にコンサートやLIVEイベントを精力的に行う。

(Musica Celesteより)

 

 


テーマ:

フレデリック・フランソワ・ショパン (Frédéric François Chopin, ポーランド名: フリデリク・フランツィシェク・ショペン Fryderyk Franciszek Chopin, 1810年3月1日(2月22日(出生証明の日付)、1809年3月1日説あり) - 1849年10月17日)はポーランド出身の前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名であった。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。

生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬等、その徴表が見られるが、そうした繊細なイメージとよくマッチした作風のものばかりでなく、そうした自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。
後半生は大部分をフランスで過ごした。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言によりポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもしばしばである。

また、女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』、『幻想曲』、『バラード第4番』、『英雄ポロネーズ』、『舟歌』、『幻想ポロネーズ』等数多くの傑作が生まれた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

ショパン:エチュード Op.10-4 嬰ハ短調

 

♪機械的なまでに連続する音が紡ぐ旋律

ショパンのエチュードはピアノの練習用でありながら、同時に優れた芸術性も持っています。「別れの曲」もそうしたエチュードのひとつです。

今回お届けする作品10-4は、とにかく速いパッセージで徹頭徹尾弾き倒すという感じの曲で、右手と左手すべての指を素早く正確に、そして均等に動かすための練習曲です。

 

動きは速いもののある意味機械的に進んでいくので、ピアニストにとっては労せずして、それなりに聴こえるありがたい曲のようです。

(クラシック名曲サウンドライブラリーから転載)

 

 

Piano : 小林愛実(Aimi Kobayashi)
 
小林 愛実(こばやし あいみ 1995年9月23日 - )は、日本のピアニスト。山口県宇部市出身。
3歳からピアノを始める。7歳でオーケストラと共演。8歳より二宮裕子に師事。2004年、ピティナピアノコンペティションJr.G級(16歳以下)で金賞を受賞。9歳で国際デビュー。2005年、全日本学生音楽コンクール小学生部門で全国優勝。山口県よりメダル栄光の文化賞を3度受賞。2009年のアジア太平洋国際ショパンピアノコンクール(韓国)でJr部門優勝。2011年にはショパン国際コンクールin Asia、コンチェルトで金賞を受賞している。第5回福田靖子賞。
海外では、カーネギー・ホールへ出演。パリ、モスクワ(モスクワ・ヴィルトゥオージ)、ポーランド(18世紀オーケストラ)、ブラジル等で演奏。
国内では、九響、読売日響、東京フィル、兵庫芸術文化センター管、日本フィルと共演。
メディア出演は、フランスのLa Chaîne Infoのドキュメンタリー、題名のない音楽会、等。
•山口県宇部市出身。山口県の栄光文化賞を3度受賞。
•8歳より、二宮裕子に師事。
•2007年桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室「仙川教室」に特待生として入室。
•2008年〜2009年、東京倶楽部特別助成金を受ける。
•2011年4月より、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)に全額奨学金特待生として入学。
•2013年9月より、米国カーティス音楽院に留学。
経歴
•3歳よりピアノを始める。
•2001年 - 2004年、ピティナピアノコンペティションに4年連続で全国決勝大会に出場。2001年の5歳での出場は最年少記録である。
•2004年 - 8歳の時のピティナピアノコンペティションJr.、G級(高校1年生以下)で全国決勝大会第1位 。
•2004年 - ショパン国際ピアノコンクールin ASIAアジア大会にて第1位金賞受賞。
•2005年 - 9歳で全日本学生音楽コンクール全国決勝大会・小学校の部にて第1位。
•2005年 - フランス、パリのコルトーホール、アメリカ、ニューヨークのカーネギーホールにてコンサートを開催。
•2006年 - 再びカーネギーホールコンサートを開催。
•2007年 - アクロス福岡でデビューリサイタルを行った。
•2008年 - 6月、3度目のカーネギーホールでの演奏。
•2009年 - 8月24日、第5回ワルシャワ国際音楽祭にて、フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラと、1840年製プレイエルを弾いて共演、成功を収めた(アンコール曲3曲)。
•2009年 - 12月10日、サントリーホールにてメジャー・デビュー記念コンサート(同ホールソロとしては日本人最年少記録、女性ピアニスト最年少記録)。
•2010年 - 2月10日、EMIクラシックスからアルバム「小林愛実デビュー!」(CD+DVD)でメジャー・デビュー。
•2011年 - 1月13日、第12回ショパン国際ピアノコンクールin ASIAのコンチェルトC部門において、金賞およびコンチェルト賞を受賞。
•2011年 - 3月、「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番『熱情』」などを収録したセカンドアルバムをリリース。
•2011年 - 4月3日には、カーネギー・ホールにおいて、小澤征爾氏が芸術監督を務める日本フェスティヴァルにて、ソロ・リサイタルを行う。
•2012年 - ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクールのヤングアーティスト部門で、第3位入賞。
アルバム
•小林愛実Debut!(2010年2月10日)TOCE-56277 ◦CD 1. バッハ:パルティータ (バッハ)第2番ハ短調 BWV826よりシンフォニア2 - 4. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」5. ショパン:スケルツォ第1番 ロ短調 作品206. ショパン:スケルツォ第2番変ロ短調 作品317. ショパン:ノクターン第20番嬰ハ短調 遺作
◦DVD 1. ショパン:エチュード嬰ハ短調作品10-42. ショパン:マズルカ第41番嬰ハ短調作品63-33. ショパン:スケルツォ第1番ロ短調 作品20
•熱情(2011年3月9日)TOCE-90184 1 - 3. ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 作品13「悲愴」4 - 6. ベートーベン:ピアノ・ソナタ第23番へ短調 作品57「熱情」7 - 19. シューマン:子供の情景 作品15
出演(映画)
•ネムリユスリカ-Sleep(2011年11月19日公開、スーパーサウルス)瑞樹役
•夏の祈り(2012年)ピアノ演奏
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