Peter Rösel - L.V.Beethoven:Piano Sonata No.8 | 田舎暮らしのブログ

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クラシック音楽鑑賞(ピアノ曲)を学習中です。

 
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven, 1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。クラシック音楽史上極めて偉大な作曲家の一人とされる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。
 
ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。
 
音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。
 
ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。
 
彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
♪ピアノソナタ第8番 ハ短調 作品13『大ソナタ悲愴』("Grande Sonate pathétique")は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲したピアノソナタ。作曲者の創作の初期を代表する傑作として知られる。
 
正確な作曲年は同定されていないものの1798年から1799年にかけて書かれたものと考えられており、スケッチ帳には作品9の弦楽三重奏曲と並ぶ形で着想が書き留められている。楽譜は1799年にウィーンのエーダーから出版され、早くからベートーヴェンのパトロンであったカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵へと献呈された。本作は作曲者のピアノソナタの中で初めて高く、永続的な人気を勝ち得た作品である。楽譜の売れ行きもよく、気鋭のピアニストとしてだけでなく作曲家としてのベートーヴェンの名声を高める重要な成功作となる。
 
『悲愴』という標題は初版譜の表紙に既に掲げられており、これがベートーヴェン自身の発案であったのか否かは定かではないものの、作曲者本人の了解の下に付されたものであろうと考えることができる。ベートーヴェンが自作に標題を与えることは珍しく、ピアノソナタの中では他に第26番『告別』があるのみとなっている。『悲愴』が意味するところに関する作曲者自身による解説は知られていない。標題についてパウル・ベッカーはそれまでの作品では垣間見られたに過ぎなかったベートーヴェンらしい性質が結晶化されたのであると解説を行っており、ヴィルヤム・ビーアントは「(標題は)気高い情熱の表出という美的な概念の内に解されるべきである」と説いている。
 
ミュージカル・タイムズ誌に1924年に掲載された論説は、本作の主題にはベートーヴェンも称賛を惜しまなかったルイジ・ケルビーニが1797年に発表したオペラ『メデア』の主題と、非常に似通った部分があるとしている。他にも、同じくハ短調で本作と同様の楽章構成を持つヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのピアノソナタ第14番の影響も取り沙汰される。とりわけ、第2楽章アダージョ・カンタービレの主題はモーツァルトの作品の第2楽章に見られるものと著しく類似している。また、未完に終わった交響曲第10番の冒頭主題が同主題に類似したものだったという研究成果が発表されている。グスタフ・ノッテボームは本作の終楽章が構想段階ではヴァイオリンとピアノのための楽曲であった可能性を指摘している。
 
このピアノソナタはベートーヴェンの「ロメオとジュリエット」期の心境、すなわち「青春の哀傷感」を写し取ったものと表現される。描かれているのは後年の作品に現れる深遠な悲劇性とは異なる次元の哀切さであるが、そうした情感を音楽により伝達しようという明確な意識が確立されてきた様子を窺い知ることが出来る。劇的な曲調と美しい旋律は本作を初期ピアノソナタの最高峰たらしめ、今なお多くの人に親しまれている。
 
イグナーツ・モシェレスは、1804年に図書館でこの作品を発見して写しを取って持ち帰ったところ、音楽教師から「もっと立派な手本を基にしてスタイルが出来上がるよりも先に、そんな奇矯な作品を弾いたり勉強してはならないと注意を受けた」と回想している。ベートーヴェン自身は持ち前のレガート奏法を駆使し、あたかもその場で創造されたものであるかのように弾いたとアントン・シンドラーは証言している。その様子は既によく知られていた本作と同じ曲が演奏されているのかと耳を疑うほどであったとされる。
 
本作はピアノソナタ第14番(月光)、第23番(熱情)と合わせてベートーヴェンの三大ピアノソナタと呼ばれることもある。約100年後にロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーが交響曲第6番『悲愴』を作曲しているが、その第1楽章にはこのピアノソナタの冒頭主題とよく似たモチーフが使用されている。
 
第1楽章
 
Grave 4/4拍子 - Allegro di molto e con brio 2/2拍子 ハ短調
 
ソナタ形式。グラーヴェの序奏が置かれ、展開部とコーダでも姿を見せる。同様の手法は選帝侯ソナタ第2番 WoO.47-2(1782年-1783年)の第1楽章にも見られる。
 
第2楽章
 
Adagio cantabile 2/4拍子 変イ長調
 
三部形式。ベートーヴェンの書いた最も有名な楽章のひとつである。ヴィリバルト・ナーゲルはベートーヴェン全作品中でも指折りの音楽と評価しており、マイケル・スタインバーグはこの楽章のために「ハープシコードの所有者は最寄りのピアノ屋に駆け込んだに違いない」と述べた。美しく、物憂い主題が静かに奏で始められる。
 
第3楽章
 
Rondo, Allegro 2/2拍子 ハ短調
 
ロンド形式のロンド主題は、第1楽章とは異なって劇的な表現を抑えて洗練された簡素さを感じさせる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
ペーター・レーゼル(ドイツ語: Peter Rösel、1945年2月2日 - )はドイツのピアニストである。ドレスデン生まれ。
 
1945年にドレスデンに生まれた。生地のドレスデン音楽大学で学んだ後、モスクワに留学しモスクワ音楽院でドミトリー・バシキーロフとレフ・オボーリンに師事した。1966年のチャイコフスキー国際コンクールに出場し6位に入賞したほか、1968年にはモントリオール国際ピアノコンクールで2位に入賞した。現在はドレスデンに在住し、母校のドレスデン音楽大学で2012年まで教授をつとめた。
 
これまでに5つの全ての大陸の40を超える国々で演奏を行っている。共演した著名な指揮者はルドルフ・ケンペ、クルト・ザンデルリング、キリル・コンドラシン、クラウス・テンシュテット、ヘルベルト・ブロムシュテット、クルト・マズア、ホルスト・シュタイン、ベルナルト・ハイティンク、ギュンター・ヘルビヒ、ウラジーミル・フェドセーエフ、シャルル・デュトワ、ユーリ・テミルカーノフ、マレク・ヤノフスキ、ドミトリー・キタエンコ、ハンス・フォンク、ハルトムート・ヘンヒェン、クラウス・ペーター・フロール、ダニエル・ハーディング、若杉弘、朝比奈隆など、主要なオーケストラにはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ベルリン交響楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、モーツァルテウム管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、デトロイト交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団などがある。ザルツブルク音楽祭やエディンバラ国際フェスティバル、BBCプロムスなどの音楽祭にも出演している。
 
2005年にはドレスデン音楽祭で紀尾井シンフォニエッタ東京との共演によりベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏した。この縁がもととなり2007年4月に日本では30年振りとなるコンサートを紀尾井ホールで開催した。さらに2008年10月からはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を同ホールにて4年にわたり演奏するプロジェクトが進行中である。
 
また2007年の第3回仙台国際音楽コンクールではピアノ部門の審査副委員長を務めた。
 
2009年にはKunstpreis der Stadt Dresden 2009(ドレスデン市芸術賞)受賞。
 
録音にはフロール指揮のベルリン響との共演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集やブラームスのピアノ独奏曲全集などがある。冷戦時のいわゆる“鉄のカーテン”の影響もあり日本を含む当時の西側諸国での知名度はさほど高くないが、その実力は一級品である。音楽評論家の大木正純はベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の録音について「ベートーヴェンを心から愛する人々には、これは一つの新しい、そして掛けがえのない宝物となることを信じて疑わない」と述べている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』