その1はこちら
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こどもたちが寝た後、私は今日のことを思い出していた。
もしかしたら全く気にしてないのかもしれない。それか多少なりとも傷ついて忘れようとしているのかもしれない。
本心はわからない。
私とこどもは当たり前だけど違う人格。
だから私が勝手にこどもの気持ちを想像して落ち込むのなんて全く意味がないのなんてわかっている。
だけどさ、人気者の太郎くんと休日に初めて遊ぶ約束をしたと喜ぶこども①の姿を見て、私も半信半疑…いや一割信九割疑だったけどもしかして本当に太郎くんが「おーい」と公園に来てくれるかもしれないと心のどこかで思っていた。
だから太郎くんが来なくてショックだったんだ私。悲しかったんだ。
こども①がまともに約束ができないこと、何より休日に遊ぶ友達がいまだにできていないこと(平日もだけど)
コミュニケーションが未熟なこと、言語発達が未熟なこと…それで人間関係を構築するのに苦労していて…それを親である私が受け入れられていないこと。
太郎くんはすごくいい子だ。
約束してわざと行かないとかする子じゃない。大人の前だけでいい子にふるまうような狡猾な子ではないことももちろんわかっている。
だから今回のことは、公園の話は多分出たんだろうけど、うちの子が勝手に約束した気になってしまったんだと思う。
だから余計に悲しい。
こども①の寝顔を見て「ごめん、ごめんよ」と呟いた。
私はなんて言ってフォローすればよかったんだろうか。
太郎くんが来なかったショックで「もう勝手に約束してきたらあかんで。」なんて言ったけど、あの時、あの公園の出口で私がかけるべき言葉はそんな言葉じゃなかった。
ごめん、ごめんよ。
太郎くんが来なくて悲しかったのはこども①だよね。
これからの人生こんなことたくさんあるんだろうな。いつも他の子に必死で着いていっているこども①姿。
人が好きだけど、なかなか上手くコミュニケーションがとれないこども①
ごめんね、ごめん。
脳の作りの問題だからこの世に産み落とした私の責任なんだ。
なんか勝手に超ネガティブモードに突入。
帰宅した夫に泣きながら全てを話す深夜のわたし
「え、携帯無かったら待ち合わせとか無理やろ。しかも小学生の約束なんて曖昧やし。ええ勉強になったやん。」とあっさりばっさり。
まぁね。私が1人で焦って1人で傷ついて。
自分と子供の境界が曖昧になってる。
私は子供が悲しみを示した時に共感するべきであって、それ以外は明るく優しく振る舞ってたらええんよね。
でもそんなにはっきりと割り切れないのが母心…なのだと私は思ふ。
