コーヒーを飲む時にスプーンのことをさじと言ったら、家人に大笑いされた。
「今時、さじなんて言う人はいない。」
「スプーンでしょ。」
自分も別にいつもはスプーンと言っている。
たまたま、さじという言葉が出てきただけだ。
それなのに
「いつの時代の人。」
とまで言われた。
料理の番組などで、小さじ2杯、大さじ1杯とか言っている。
小スプーン2杯、大スプーン1杯とは言っていない。
さじという言葉を使っている。
それなのに
「いつの時代の人。」
とは言われない。
別にさじという言葉を使ってもいいだろう。
いろいろな人がいる。
世界にはいろいろな人がいて、いろいろな言葉を使って、いろいろな習慣がある。
みんな同じではない。
ひょっとすると異星人、未来からまたは過去から来た人がいるかもしれない。
ドラマの見すぎと言われるかもしれないが。
否定はできない。
分からないから。
分からないことは「ない」と否定はできない。
自分と違うから、おかしいと思うのは傲慢だ。
自分と違うことが当たり前だと思わなければならない。
いろいろな人がいると思えば、いろいろな考えがあることが分かる。
そうなると正しいことは何か分からなくなる。
どれも正しいと言えるし、どれも間違っていると言える。
見方によって正しさは変わる。
そのことは頭に入れておく必要がある。
