言葉とは本来その土地の環境民俗に合わせて発達していったと思う。
世界を見ても環境は寒いところ、暖かいところ、日本のように四季があるところなどさまざまだ。
その環境に合わせて人間は進化し、ひとつのかたまりとなる。
それが民族だ。
民族に合わせて言葉は発達しているはずだ。
侵略戦争などにより民族が淘汰されていく。
勝者、弱者に分かれ、勝者による弱者の植民地化が始まる。
それによって、本来持っていた民族、環境に合わせた言葉も淘汰されて勝者の言葉となる。
それが繰り返される。
今は世界的標準語としては英語が考えられる。
これは、侵略戦争の勝利の結果とも考えられる。
グローバル化によるものだ。
という考えの方が強いかもしれないが、それも勝者の言葉だ。
本来、言葉は前述したように環境、民族に合わせて発達しているはずだ。
体のつくり、周りの空気の振動の仕方等で、それらに合わせた最適な言葉が本来は使われ、発達したはずだ。
世界で考えられることは小さな日本においても同様に考えられる。
ありがたいことに日本は近代の戦争において他国の植民地とはならなかった。
そこで日本語は守られた。
それでも、日本の各地に育てられた方言はどんどん薄くなっていっている。
世界の状態と同じ状態になっている。
それが悪いというわけではない。
しかし、言葉がその環境に合わせて発達していったものだとすると少し寂しい感じがする。